教養を磨く
昨日、「教養を磨く」と謂う本を完読した、その話をしたら婿が興味を示し本を借りていった。娘にも是非読ませたいと思っている程私の評価は高い。
著者の「田坂広志」は初めて聞く名前だがその内容は画期的で現代の現状や未来の予測などすべてと謂う程的確で妙を得ていると思う、最近では出色である。
既に読んだ「教養を磨く」そして次に手にしてる「人間を磨く」に「知性を磨く」にもう一つ題名を忘れたが、磨くシリーズ4部作を読んでみたい誘惑に駆られている。
本を読むのは楽しい作業である。
昨日、「教養を磨く」と謂う本を完読した、その話をしたら婿が興味を示し本を借りていった。娘にも是非読ませたいと思っている程私の評価は高い。
著者の「田坂広志」は初めて聞く名前だがその内容は画期的で現代の現状や未来の予測などすべてと謂う程的確で妙を得ていると思う、最近では出色である。
既に読んだ「教養を磨く」そして次に手にしてる「人間を磨く」に「知性を磨く」にもう一つ題名を忘れたが、磨くシリーズ4部作を読んでみたい誘惑に駆られている。
本を読むのは楽しい作業である。
人間は不死ではない。永久の生命を授かっても居ない。不老不死を願う気持ちも分からないではないが、死ねない苦しさを知るものは少ない。輪廻転生とはよく言ったものだ。
人は生まれ変わって再生する。だったら、スムースに次世代に移行する準備をする方が理にかなっている。準備は候補を選び育成し、目指す方向性を示し、自律的に歩む支援をする方がより好ましいと思っている。
朽ち果てることを避けてはいけない。
昨日、老齢の夫婦が相続の相談に訪れた。夫婦合わせて億を超える資産があり、やがて訪れる相続に際して、良い対策がないかと相談に訪れたのだ。
大半が預貯金と上場株で取り分け上場株は配当利回りの良い株を選択し年金収入の足しにしていると謂う。もうこれは立派な相続対策の一環だし、今後いずれかが病気やケガで施設の厄介に為ったり、介護が必要になる時の貯えとして財産のポートフォリオの申し分なく余計な対策など必要がないと謂ったが、どうも納得がいかないらしい。寧ろ、二次相続時の分割がスムースに行くように遺言書を残すことを勧めた。
世間では相続税が出る程財産があれば相続税対策が必須との思い込みがあるようだ。人にそう思わせる程事前対策を考えないのは馬鹿だとの思い込みがあるようだ。
人は相続税対策をしないで税金を払うのは馬鹿だという風潮は如何なものか。一昨日、千葉西税務署を表敬訪問した際に見た玄関の掲示板にあった子供たちの納税標語が虚しく見えたのは私だけではない筈だ。
師走を迎えると、決まって一年の振り返りとくる年の抱負をと謂うことになる。一年を日本人的感覚で行けば師走・新年はセットである。丁度人生を思わせるような振り返りと迎える新年への対応である。
日本を取り巻く環境は決してPAPPYな訳ではない。世界は対立と抗争に明け暮れている。今も各地で紛争が頻発し恰も世界大戦の再来と謂った体である。
考えてみれば民族と宗教に違いで人類はこうも人殺しが出来るのか不思議に思ってしまう。ダイバーシティとか共生と謂われる割に人類は愚かである。
くる年は融和と共生が出来ることが叶う年が来ることを祈っている。
来年のテーマを考える季節になった。恒例は年末を越える際の一仕事だ。でも毎回これを考えることも重要な仕事でもある、何故なら毎年来る年のテーマを考え、課題を見つめることの重要さを何年も積み重ねてきた経験が物語っている。
今考えているの一つは「円熟」と謂うこと。もうそろそろ、これを目指す年齢であるし、これを目指すのも悪くないと思っている。人生の集大成を考える歳になったのだ
前回、「全力で老いる」と謂うテーマでブログを書き、珍しく大変な反響をいただき恐縮している。我ながら、いいテーマだと思っている。
老いをテーマにする機会が世間的にも多くなっている気がするが、ただ長寿を願うだけでは能がないし、生き永らえてさえ居れば良いものでもない。
要は、中身がどうであるかが重要であるのは論を待たない。ただ長寿を願うのは死にたくないだけの理由だとしたら、何と虚しいことだろう。
長寿を願うのであればどれだけ長く生きたかだけではなく、どう生きたかをこそ問われるべきである。中身のない長寿など私には無縁である。
老後はゆったりと楽しく気楽に過ごすのが理想と思ったが、これが意外と楽しくない。夢中で時間のたつのも忘れて物事に没頭していた頃、ひと段落してほっとした時の楽しさや行楽に行きたい切望を持った頃が懐かしい。
人は於いても全力で老後を過ごすのが一番楽しいかも知れないとふっと思った。
昨日、小林鷹之国会議員の政治資金パーティーに出席してきた。最近の代議士は新人の頃、地盤固めで必死で地元をこまめに回ってた。今も地元周りや地盤をコマめに回っている姿は奢らず生真面目である姿は地元で人気も高い。
すっかり、地元に根差した代議士風である。変わってきたのはその視点である。昨日もテーマは憲法、経済安全保障、教育が中心で流石、代議士の目指すお仕事である。
これが本来のお仕事である。
義理の母の葬儀の事をブログにしたらあちこちから問い合わせを頂いた。葬儀のお知らせの積りは全くなかったことなので驚きと後悔を少々している。
義理の母で高齢であったので改めたお知らせはしていなかったが甚だ手落ちであったことを後悔している。お祝いや不祝儀などの慣例を省略する傾向がデジタル社会の到来を理由に省略する傾向にあるが、何もかも省略と謂うのも芸がないし、日本の長年の仕来りを無碍にするのも少々憚られると謂うものだ。
簡素化の基、儀礼的慣行がなくなっていくのも私としても疑問である。
私は八千代ユネスコ協会の会長を務めている。今の処その認知度はそう高くはない。設立されてこの夏で一年が経った。来年の2月に一周年記念式典を開催する予定で準備を始めている。
どの事業でも同じだが、活動を継続するには事業資金が必要であることは自明である。その捻出方法が問われる。資金力、獲得力は民間の事業会社が優れている。
今は民間の営利団体でもその社会的使命として社会貢献を問われているし、SDGsで謂われる取り組みを無視することも社会的存在として避けて通れないご時世である。
社会問題に取り組む活動の支援をどう取り付けていくかそこが社会活動の側の肝でもある。
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