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2010年3月 5日 (金)

ネイションについて

 NAITIONについて書いてみる。なぜNATIONなのかと云えば、今日の毎日新聞の一面は沖縄返還時の日米密約の存在が確認されたとの報道による。
 政治や外交には透明性に一定のスクリーンがかけられる事は日常の交渉事からしても当り前だし、許されることだろう。自らの手の内を明かして交渉する奴なんて誰もいない。
 しかし、民主主義国家であればどこかでその透明性が確保されていなければならない。
紛争の解決手段として武力の行使はしないと誓ったわが日本国憲法と武力を保持することを同列に議論は出来ないことに似ている。
えせ平和主義者は武力の保持さえ認めない丸腰外交を主張するが、国際関係のなかでどれだけ日本のプレゼンスを発揮できるか心許ない限りだ。
誰だって争いは望まない。
国ってどういう存在なのか。カンサンジュンの「ナショナリズムの克服」に詳しいい。
 ゴルバチョフ氏がかつて、なぜソ連邦があんなに急にあん状態になってしまったのか分からないと語っていたことがある。
いま、砂礫の崩壊の論理に関心が向いている。何時か書いてみたい。

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