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2010年12月

2010年12月24日 (金)

今年最後のブログ

 本日をもって我が事務所の本年の業務を終了する。今でも我が国の企業の多くは28日まで営業するところが多い筈だ。サービス業である筈の会計事務所がこんなに早く年末を迎えてようのかと云われるかも知れないので、言い訳しておく。
 我々は中期経営計画のもとで単年度計画を遂行している。進捗管理もしているし業績評価もしている。我々のサービスは長く事務所を開けておく事ではない。
 真に皆様のご要望や潜在的ニーズにより早く的確に対応していく事が重要であって、長く作業する事ではない。
これからも、世界経済の、企業の歩むべき方向を見失うことなく的確に対応していけるよう研さんを積んで、皆様に頼りにされる会計事務所であるよう努力して参ります。
 

2010年12月22日 (水)

就活

 今、大学三年生を教えている。昨日今年最後の授業をしてきたが、もうこの時期、卒業後の就職について準備乃至は心の準備をする時期だろう。我が家もつい最近娘のこの問題を経験した身として此処に触れてみたい。
 日本のこのところの新卒者達の就職難がしきりに話題に上るが、私の時代の就活のことも含めてその時の景況に大きくそれが左右されてきたのが日本の新卒の就活だ。
 今、世界同時不況、先進国に失業者が溢れ、移民に対する風当たりも強いという。がしかし、新興国や発展途上国の一部は経済成長を止めない。
 日本の学生は初めから日本企業それも大企業に希望が集中するのが常だ。もういい加減日本企業だけでなく大手だけでなく自分の求職を考えるべきだ。これからは日本企業といえども日本人ばかりがライバルとは限らない、中国やインドの大学生がライバルになってくると伝えておいたが。

2010年12月21日 (火)

今年の予定

 今年も残す処あと僅かになった。今年も年末は下田で過ごす。27日から5日間の予定だ。年賀状の添え書きもこの休みに終えた。
 年末に持っていく本も選び出してある。
ゆっくり来し方行く末を見つめてきたいと思っている。今年は例年と違って整然と準備が出来ているし、事務所の次期の方針もはっきりしている。方針は私が決め、スタッフが細部を詰める・行動する・評価する・改善行動に出る等事務所のPDCAが自律的に回っている。
 次代の事務所構想も具体化していかねばならない時期だろう。
困難な時代だからこそ、会計事務所が時代を見据えた活動をしていかねばならないと確信している。

2010年12月16日 (木)

藤田寛之の帯同キャディ

 過日、ゴルフの日本シリーズJTカップでの優勝シーンについて書いた。その時の様子を今週号の週刊新潮のコラム記事で見かけたので此処に書いてみる。
 藤田と13年間一緒にプレーしている帯同キャディーでその名を「梅原敦」と云うそうだ。今シーズンのシニアツアーで芹沢プロに付き優勝をアシストしている。こんなことも41歳にしてメジャー未勝利の藤田を刺激したとある。
 それと、彼が優勝が決まった瞬間グリーンサイドで泣き崩れたのには理由があった。昨年のこのゲームで二人は大ゲンカして関係を解消しかけた事があったという。
 そんな事があっての藤田の優勝をアシストしての今回、多分、こみ上げるものがあったのだろう。彼にもおめでとうと言いたい。

2010年12月15日 (水)

ライフ・プラン

 大学3年生向けに管理会計の講座を持ったことは以前書いた。半期の講座だが、その三分の二を終えてこの間の講義で評価はレポートによるとしてその趣旨と評価基準を話してきた。
レポートのテーマは「BSC(バランス・スコアーカード)による戦略的ライフ・プランの策定」とした。ご存じのようにBSCは事業会社をターゲットに開発されたものであるが、一方で非営利企業や行政又は個人のライフ・プラン策定にも有効であると開発者自身も語っている。 来春のレポート提出期限が待ちどうしい処だ。

2010年12月14日 (火)

リーダー 2

 昨日、日本のリーダーについて書いたが、足りないところを補充しておく。
民主主義を「選ぶ民主主義」と「任せる民主主義」で日本には民意が無いと書いた。今日それを観て足りないと思ったので此処に書き足す。つまり「責任を取る民主主義」が不足していた。
 嘗て、日本のご親政は3度あったと書いた事がある。大化の改新・建武の中興・戊辰の役の3度だ。それ以外は全て官僚政治だ。
 政治体制には君主制・貴族制・僭主制に民主主義制(民主主義にも色々あるが)があると云われているが、何れも官僚は居た。
 処で、民主主義以外でも王は誰かが選んでいる。中国の皇帝は天が、日本の天皇は自ら神であると宣言している事を除いて。
リーダーは選ばれてその職を果たし、果たせないとの判断が下れば解任か暗殺で終わる。世界を、一国を想うリーダーはその使命に準じるのだ。今のりーダーにその覚悟はあるのか。

2010年12月13日 (月)

リーダーの資質

 日本の政治にリーダーと云われる人が見当たらない。私が知る限り一人もいない。今の日本人は、選んでしまった人の遣る事についてツベコベは云うが、選んだ責任者としての議論をする風潮はない。みんな他人事のように論評するだけだ。
何処の世界でも選び方は兎も角、一旦選んだリーダーは云わば専制君主なのだ、信任をしたのなら暫くは黙って任せたらどうか。
民主主義と云ったって全ての者が関われる政治など何処にもない。民主主義の構成員だと思うなら、一定期間は存分に遣らせて評価を下したらよいと思うが。
 今の日本に「選ぶ民主主義」と「任せる民主主義」を根付かせることが肝要だと思う。日本にリーダーが育たない大いなる原因は国民の資質にある。

2010年12月10日 (金)

一向に忘年会は減らず!

 昨夜も忘年会。税理士会の本年最後の例会でその後忘年会が設営されていたのだ。今年も景気が低迷しているとは云ってもこの季節の夜会は全て忘年会である。
 過ぎてはいけないといつも思っている事なのだが、これが守れたためしが無い。そんな雰囲気とアルコールが好きなのだろう、きっと。何時も度が過ぎてしまう、妻に蔑まれ頭や異が痛んでも次の日の夕方には楽しく飲めてしまうから、反省も守られた事が無い。まあーいいか、飲めるのも今だけだもの。

2010年12月 8日 (水)

今年もまた、ブログが本に!

 この9月でブログを書いて丸三年が過ぎた。多分六百回は越えたろう。よく続いたものだ。やはり感慨深いものがある。
ブログの効用を挙げればきりはないが、皆に、いや、誰に観られるのか分からないところに掲示するその緊張感がまたいい。言葉は選ぶし、表現にも気をつけるようになる。気分を高揚させながら冷静に書く喜びもまた、新しい発見であった。
 人生のいい道具に出会った気分である。

2010年12月 6日 (月)

プロゴルファー藤田寛之と云う男

 昨日、「日本シリーズJTカップ」と云うゴルフのメジャートーナメントの最終日の後半戦をテレビ観戦した。
藤田という、プロゴルファーとしては地味なそして41歳と云う年齢でメジャー無冠、これからのメジャー優勝の機会もそう多くは望めない。今、千載一隅のチャンス、これを逃したらメジャー無冠に終わるかもという最終ラウンド、上がり三ホールでの彼の勝負は観ている方も力が入った。
 15番ホールまで2打差ビハインド、16番ミドルバーディ、17番ロングホールイーグル、そして最終ホールのショートはこのクラブ最難関ホール。ここでパーなら一打差で優勝と云う場面。観ている方も緊張するが当人の心境は図りしれない程のもの。
 結果はガードバンカーからのアプローチをワンパットで沈めて一打差優勝。彼らしく小さくガッツポーズをしてその喜びを表現していた。が、その後テレビカメラはグリーンサイドで蹲るキャディーを捉えた。たぶん彼のキャディーだろうと思う、今までの緊張が一気に解けた瞬間だったのだろう。彼も戦っていたのだ。こんなパートナーと仕事が出来る彼の人格とその幸せを感じた。いい週末であった。

2010年12月 2日 (木)

年末

 昨日から師走である、年末である、一年の終わりである。この一年を振り返る事も出来ず新年に突入しそうだ。いやー、気忙しかったこの一年であった。来年は支部長も終わる、大学講師はまだ続く、商工会議所役員もあと3年だ。しかし、支部長職を終える事が一番大きいかな。わがビジネスプランも方向性だけ伝えれば中期経営戦略が構築できるだけ充実してきた。
 最近見る夢は・・・・・幸せと云う布団に包まって寝ているのに口元が緩む・・・・・と云う夢だ。何回も見た。何故だろう。
人に云うとこの夢が消えてしまいそうで云えないままにきた。
多分60年この方今が一番充実していると想っている。

2010年12月 1日 (水)

雪降るまち

 この間、もう限りなく熱帯に近い石垣島や西表島などの離島の旅をしてきた。これも今までにない日本の西南海の果てへの旅でもある。
 そこで、改めて思うのは今までの旅でよく思い出すのは何故か雪降るまちへの旅である。
家の先祖は紀州半島の勝浦辺りからの漂着民の一人と聞いている。ただし、私の祖父母は齋藤家の夫婦養子であるからして本当は血筋でいけば菊池家である。何処の出かは聞いていない。
 いずれにしても、雪降るまちへ出かければそこに雪が無くても妙に懐かしさがこみ上げてくる。いい例がマイカーでの青森への旅では丸山三内遺跡(縄文中期の遺跡)を訪れた時、何か故郷に帰ったような気がしたし、洞爺湖を望むあのウィンザーホテルからの眺望は雪が無くては様にならない。
「石割桜」を観に盛岡へ行った時は雪降る中津川を訪れたいと思った。ついでに訪れた盛岡城で新渡戸稲造の「われ太平洋の懸け橋と為らん」の碑文を観て一気に新渡戸ファンとなった事もある。
最近では、今冬雪の高山、白川郷を訪れたいと願っている。どうも雪降るまちがわがふるさとと思えてくる。

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