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2011年2月22日 (火)

人間関係

 今時の若者は、人との関係を持つ事や交流を苦手ないしは避けるということが多いと聞いている。確かに煩わしいと思う事も度々あるのは事実だ。しかし、だからと云って出来るだけ人との接触を避けると云うライフスタイルはどこから来るのだろうか。
 人がその存在を明らかにする努力を要しない社会(文化や価値観が単一の社会)は、一見、有り難い社会に見えるが、果たしてそうか。
 人の理解はその人の在り様と相手の在り様が交差するところから始まる。これを省略して済むには、すでにお互いの存在を肯定出来ているからこそだろう。今、日本で見も知らずの人間を残酷な手段で殺戮する行為の背景はこの共有関係が断ち切れているからではないだろうか。
 グループの中で生きる動物ならば自分の存在は自分で明らかにするのが原則だ。これが出来ないものにその存在が認められないのが、生物の定めだ。
 もっと足元を見つめてこの社会で生きよう。それにしても、誤解を抱えた儘その関係が途絶えるのは気鬱なものだ。

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