台湾紀行 2
昨日に続いて台湾行について書く。台北の日本工商会を表敬訪問をしたが、そこで聞いた話や見聞きしたこと、それにこれまでの知識を総合して台湾それ自体や日本との関わりを考えてみる。
1985年より1945年までの50年間は日本の領土であった。日本の総督府が置かれ、4代総督は児玉源太郎、民政局長官は後藤新平、民政局長は新渡戸稲造。彼らをはじめ時の日本政府はその国家予算の5分の1に当たる財政負担をして台湾の近代化を図った。
サトウキビや米による農業振興、そのインフラ整備の一環として烏山頭ダムを台南地方に造った。担当した土木技師八田与一は台湾では英雄である。
豊かな暮らしと工業技術の移転による産業発展の礎を作った日本人に好意と親しみを持っていることは間違いない。
今は、日本語教育を受けた世代から米国留学世代へと変遷はあるものの、日本との関係はその人的交流、そして貿易額に表れていると云える。
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