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2011年4月

2011年4月28日 (木)

中小企業の金融環境の変化

 皆さんは、一昨年12月から施行されている「中小企業金融円滑化法」がこの4月から1年間延長されたことはご存じだろうと思う。
 しかし、そのスタンスは延長前とその後では全くと云ってよいほど異なっている。最初の一年は、資金繰りに困っている中小企業救済の色彩が強く、金融機関の受け入れ体制や姿勢の在り方に重点が置かれていた。
がしかし、延長後の今は視点は全く違う。それはつい最近公表された金融庁の「金融監督指針」からも見えてくる。金融機関は取引企業に対するコンサルティング機能を強化とともに最適なソリューションの提案をしていくようにと云っている。
この中身は経営改善の必要な取引企業を「経営改善出来る企業」、「経営再建しなければいけない企業」、「債務整理(つまり、清算)を前提に対処する企業」と区分して金融機関が対処していくようにとと云っている。改善行動の見えない、又はやる気のない会社は消滅させてもよいという事である。
第三のカテゴリーに入らないように留意する必要がある。

2011年4月26日 (火)

今年も来るゴールデンウィーク

 昨年のこの時期は何処かへ出かけていた様に思うが忘れた。今年のこの時期は何の予定もない。まあゴルフに一回程度は行くこともあるが、予定はない。3、4月は予定していた旅行が全て中止になってしまった。それには理由が二つある。一つはかの震災の為。もうひとつは飼い犬の死だ。大震災の影響は世間体、飼い犬の死はその気分にならなかったことに由る。
 連休明けにはあの白河郷の「やまこし」から奥飛騨温泉郷の福地温泉へ妻とともにドライブ&温泉で気分転換して来ようと思っている。

2011年4月25日 (月)

悲しみの違い

 23日の土曜日、フェイの遺品を片づけた、悉く。彼の為に使った品を見るとつい思い出してしまって胸が痛いからだ。妻に片づけようと言うと、思いは一緒だったのか、彼を繋いだワイヤーやハウスの類を忽ちのうちに片づけてしまった。
昨日が初七日だったが、寝るとき、起きた時、つい彼が居た場所に視線が行ってしまう。悲しみがこみ上げる。
 父の死とフェイの死について、受け止め方の違いを前に書いた。最近、悟ったことがある、父のその時には覚悟があり、言葉で交わした信頼が存在した。冷静にその時を受け止められたのだ。言葉の通わない相手ではそうはいかない。その表情や行動で我彼の距離を判断するしかない。だからか、表情や動きの残影が何時までも瞼の裏に焼きつく。

2011年4月22日 (金)

日本の近未来

 いま、日本は大災害に打ちひしがれ、先々のわが身の不安で一杯である。これを云っては大変申し訳ないが東日本の一部の災害でまだ冷静になって考えることが出来る余裕がある。この教訓は将来に生かされるべきだし、きっと生かされるであろうと信ずる。
 しかし、国民は此処で一旦歩みを止めてこの国の現状とあるべき姿を考えるよい機会であると捉える必要もある。それは国民一人ひとりが責任を以って関わる社会体制でなければならない。そこには「国是」が必要では有るまいか。
 イスラム教の貧困国は政治体制が貧弱である。従って、国民は福祉・医療・教育・就職支援等生活の全てを援助してくれるモスクと老師に絶大な信頼をおくことになる。
 一方、民主主義思想が国民に行きわたった先進国では国民の自助的活動(奉仕活動も含む)に重点があり、これを国家が補完する。つまり国家は国民の良心に期待をしている。日本はどうだ。国民の選んだはずの政治家は国民を信じていないし、期待もしていない。こんな先進国が他にあるか。

2011年4月21日 (木)

最善の道

 今、日本中がこれからの不安の中に生きている。直接被災した人もそうでない人もだ。自然と人間の共生とは何か、これからの生活や経済はどうなるのか、何を目指して生きて行けばよいのか皆不安だらけだ。
 昔、父が倒れた時、救急医療センターで原因究明に必要なリスクのある検査を受けるかどうか問われて、こう答えたことを記憶している。「原因が判明したら生存率に大きな違いがありますか」「たぶん今の状況からして大きく変わらないでしょう」。その生存率は5~15%だったと記憶している。絶望的な状況であった。決めかねている母に代わって「止めましょう」と答えると、その伊藤と云う医師は「最善を尽くします」と答えた。これで十分だった。
 今、私たちの出来ることに「最善を尽くし、天に祈ろう」と思う。

2011年4月20日 (水)

悲しみ

 昨日は我家の愛犬フェイの死を書いた。そこに言い様のない寂寥感が存在するのが不思議でならない。今から25年前父が突然倒れた。私が失業中で俄かに我が家は働き手を失うという惨事が出現した。後から考えればこのことが私を成長させたと云える。それから16年間、半身不随になった父は生きた。療養の中での16年間の歳月は父の死を織り込んでいたように心静かに迎える事が出来た。自身不思議なくらい穏やかな感情であった。
私は悲しみに強いと勝手に思っていたところがある、どんな悲しみにも耐えられると。
 しかし、フェイを失って2日、心の隙間は何なのか私は分からない。深い悲しみが纏わり着く。

2011年4月19日 (火)

さらば、友よ

 昨日、16時50分、11歳と半ばでフェイが逝った。最後は妻が見取ったという。静かな最後であったという。次女の友人の姉が通う高校の隣接地に雑種犬が子を産んだ、が最後のひ弱な末子に引き取り手が居ないといい、飼ってもいいかと懇願された。これがフェイとの出会いであった。真っ黒で怯え切っていて、暗がりに潜り込んで姿を見せない臆病な子犬であった。大きくなっても雑種の気性は変わらず家人以外には懐かなかった。
彼が居た我が家はその時、子供が大人へと育つ大事な時期であった。野犬特有の用心深さと小心さに、多少利発さに欠けたところもあったが、我が家の家族の一員であったことは間違い無かった。誰もがそう思っていた。
 今朝、君は幸せであったかとその死顔に問うた。

2011年4月18日 (月)

忍耐

 東日本大震災から40日余りが経った。当初は被災地の生々しい現状に目が釘付けであった。何日かすると全容が少しづつ明らかになっていった。そこに突然、福島第一原発の事故が徒ならぬものであることが国民の不安を掻き立てた。相手は目に見えないから厄介だ、それに大半の国民がその手の知識に欠ける、これが不安に拍車をかける。
 人は知らなければ何の不安も持たない。が自分で判断しようもない情報には不安が増幅するだけで解決策など出ようも無い。
 情報には役立つ情報と無用な情報と不安を掻き立てる情報がある。不安を除くには自分にとってのその影響の度合いと解消するまでの時間が知りたい。耐える期間が分かれば人は結構耐えられるものだ。
 偶には気分転換も必要なのは云うまでも無い!
 

2011年4月16日 (土)

恋愛と結婚

 今日は予定にない日である、がしかし、最近気になることがあるので書いてみる。
次女がこの秋、結婚することになった。相手は大学入学頃からの付き合いだそうで、そう云う意味では大変長い恋愛期間を経てのゴールインと云うことになる。
 結婚式の日取りが決まってからよく彼と仲違いをすることが多くなったと妻が気にしている。
僕はそれを察知しているが、相手には伝えていない。云っても、また口うるさい親父の説教ぐらいにしか受け取ってくれないからだ。
 恋愛と結婚は違うのだ。断じて違う。恋愛は「感情」だし、結婚は「生活」だからだ。言葉を換えれば、点と線だ。
恋愛は感情の赴くままでよい。結婚生活はそうはいかない。長年の結婚生活成功体験者の私が云うのだから間違いない。結婚生活とは「忍耐と協調」の賜物なのだ。それぞれ生まれも育ちも違う二人の人間が一つ屋根の下に住もうと決したのだ。その覚悟はつまり何があっても「信頼と絆」のもとで全てのものを解決すると云う壮大な覚悟の上に成り立つ決意なのだ。
 此処に、私が妻と対峙する心構えのもとにしている詩があるので紹介しておく。

             「海よ言うてはなりませぬ
                空もだまっていますゆえ
              あなたが誰で私が何か
                誰も誠は知りませぬ」

                          石垣 りん
斯くありたい、と何時も思っています。

2011年4月15日 (金)

研修

 一昨日、エクセルの初級講座を受講してきた。丸一日の研修コースであったが、目から鱗の事柄が一杯で、流石、有料コースのことはあると納得であった。
 そう云えば、最近の学生さんは専門性の高い勉強をするときよく専門学校を使う。つまりダブルスクールである。私が、37年前会計士の二次試験合格を目指して勉強した時も全く同じであった。大学での授業の内容や時間数では圧倒的に足りない。
 その頃の二次試験合格には年3000時間の勉強が必要と云われていた。つまり、1日8時間以上机に向かえと云う事。しかも専門学校に通っていてである。独学でやるのは無謀とも思えた。やはり「餅屋は餅屋」と云うことだ。
 専門性の高い仕事も同じ。自分達でやって迷路に入り込むより、投資と考え専門家に依頼するのが賢い選択である。

2011年4月13日 (水)

覚悟の無い運命

 今回の降って湧いたような被害に遭遇うされた方々にはお見舞いを申し上げる。さて、今回の大震災等は全て天災だろうか!
地震はさて置き、津波や放射能汚染はやはり天災であろうか。よく、「想定外」だの、「前例のない」と形容されて云われることが多いのではないか。誰が何を目当てにこれで備えは万全だと云えるのか。過去にないことはこれからも起きない保証は誰が何の根拠で云えるのか、今は端無くもそれが全く意味のないことだと思えてくる。自然の力の前には最先端の自然科学も形無しだ。人間が考えた世界などこんなものかと容易く越えられてしまう。自然の脅威は人智を越えている。人間はもっと謙虚であるべきなのだ。人の考えた科学や宇宙観など自然の力の前では全く無力である。
人が宇宙の中で生かされていることをもっと謙虚に考える、そんな価値観が必要だろう。
生命は宇宙との調和の中に生きていると知るべきなのだ。

2011年4月12日 (火)

首都圏の防災

 過日、当確の出たある知事候補が節電に触れ、パチンコや飲料水のベンダーが消費する電力は1千万キロワットにも及ぶ、こんな無駄な電力を消費する国は何処にもないと宣うた。節電が必要なことは誰でも知っているし、今次、否定する者もいない。が、しかしである、発想にバイアスがかかっている、何時ものことだが。
 今、起きている災難は云っては悪いが、過疎地もっと有り体にいえば僻地で起こっていることだ。彼らは不便・我慢と何時も隣り合わせに生きてきたと云える。世界の称賛を得られるのは彼らだからこそである。
 一方、目下、不安になるのが首都圏直下型地震の心配とその影響である。首都圏に生きる人の大半は、便利・豊かに生きている。一旦災害が起こって不便・我慢・不安な状況になった時、どういう行動をとるだろうか、印象はネガティブだ。
 自然の脅威は計り知れない、日々これを感じている人と便利に生きている人の覚悟は明らかに違うし、対応も違う。天に祈るしか出来ない事もある!

2011年4月 8日 (金)

今、最大の関心事

 企業経営者の最大の関心事は何か!多分、これからの日本経済の行方と我が企業の今後だろう。不安がいっぱいなのだ。
 こんな時、何が役に立つか考える。先ず、課題は目の前の問題とその先にある問題。つまり短期的テーマと中・長期的テーマに分けて考えねばならないのは、問題解決の要諦である。どちらから先に考えるかだが、普通は中・長期テーマを検討し、その次に短期的テーマに中・長期的テーマを落とし込むという手法をとる。
 がしかし、今回のような突発的事象が発現した時は、先ず、出血を止め、3カ月から半年の事業継続を真っ先に考えねばならない。
 その第一は、事業継続資金の確保、事業の全面回復時に向けての人・物(調達・生産・販売等)の確保だ。
次に、中期的企業経営のテーマの策定である。前にも再三書いたが、今の日本経済の、特に地域の中小企業の評価と課題の問題である。はっきり言えば、世界の動きからかなりかい離しているし、特に独自性の創出に欠けている。問題なのは、この認識が当事者に希薄なことだ。
 この難関に当たって否応なく、事業の再構築が求められることになるだろう。これに対応できない企業が脱落してゆく。
 今から心して取り組みことだ。

2011年4月 6日 (水)

これからの中小企業経営

 リーマン・ショックのつぎは東日本大震災と度重なる災難に遭遇している日本。被災地で無くてもこれから間接的にでもその影響が危惧されるところだ。
 昨日、ある会計事務所経営サポート団体のセミナーがあって参加してきた。テーマは「投資育成制度」つまり、経産省肝いりの中小企業経営の安定化政策についてである。
具体的には、第三セクターである「投資育成会社」による中小企業経営の安定化策として、中小企業に資本参加するのである。利用者サイド(中小企業)の目的は、高額な株価の希釈化(薄めること、つまり、株価の引き下げによる相続対策)や株主構成の再編による同族株主の支配権強化である。
この会社は経産省の肝いりでつけられているので、ベンチャーキャピタルのような物申す株主とは異なる。原則、投資額に対する6~8%の配当を負担すれば経営に口は挟まない。
 この他にも今後の経営に資する手法を装備してゆき、皆様のお役に経てるように頑張りたいと思っています。

2011年4月 5日 (火)

戦友

 我が家には私の戦友が居る、余り頼りにならない戦友が居る、1999年冬に突然我が家に現れた。それまで我が陣営はアマゾネス集団の集まりであった。強い味方が現れたと思った。が、日をおく毎に期待は裏切られた。簡単に女の軍門に下るのだ。特に食べ物に弱い、私とは全く異なる存在であった。
 しかし、彼が来た頃は我家にとって重要な時期であったと云える。原因を作った次女は中学生、上は高校生、彼らの多感な時期を我家のひ弱な私のパートナーはいつも一緒だった。今年、11歳、男としてヤヤ老境であるが元気だと思っていた。3月18日の日、目は虚ろで、息苦しそうな素振りにこのうち続く地震に心身症にでもなったのかと思ったのだが、実は違ったようだ。彼は悪性のリンパ腫のようだ、余命は幾ばくも無いと告げられた。
私たちに出来ることは何か、考える、何時までも元気でいると信じて疑わないものもいつかは終わりが来る。
彼はいつまでも我家の家族である。

2011年4月 4日 (月)

これから

 3.11から3週間余りが経った。被災地での救援活動や放射能汚染に関心が向くが、一方で経済復興に向けて、生産活動の連続性が確保されないため経済、取り分け,中小企業や地域経済の継続性にも大きな影響が出ないか心配である。
 こんな時は「的確で迅速な情報と半年余り冬眠する資金と今後のうち手の算段」である。経営戦略は此処でも生きる。
日本には、英知と経験と忍耐と勇気があると信じたい。

2011年4月 1日 (金)

これからの取り組み

 今日から税理士会では前支部長と云うことになる。2年間は周囲に大変ご迷惑をおかけした。これからは事務所の事業承継と地域経済への貢献がテーマである。
 当事務所はクライアントの皆様とゴーイングコンサーン(永続的関係を指す)の関係を継続しなければならないから後継づくりは必須である。
 私のライフプランでは65歳で権限移行を開始、70歳で現役リタイア、75歳までゴルフ三昧で80歳までのうちに苦も無く昇天とまあこんなプランである。
 従って、ここ2,3年は価値観を共有できるクライアンに数多く出会える環境づくりとサービスメニューの充実に傾注してゆく。

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