悲しみの違い
23日の土曜日、フェイの遺品を片づけた、悉く。彼の為に使った品を見るとつい思い出してしまって胸が痛いからだ。妻に片づけようと言うと、思いは一緒だったのか、彼を繋いだワイヤーやハウスの類を忽ちのうちに片づけてしまった。
昨日が初七日だったが、寝るとき、起きた時、つい彼が居た場所に視線が行ってしまう。悲しみがこみ上げる。
父の死とフェイの死について、受け止め方の違いを前に書いた。最近、悟ったことがある、父のその時には覚悟があり、言葉で交わした信頼が存在した。冷静にその時を受け止められたのだ。言葉の通わない相手ではそうはいかない。その表情や行動で我彼の距離を判断するしかない。だからか、表情や動きの残影が何時までも瞼の裏に焼きつく。
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