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2011年4月22日 (金)

日本の近未来

 いま、日本は大災害に打ちひしがれ、先々のわが身の不安で一杯である。これを云っては大変申し訳ないが東日本の一部の災害でまだ冷静になって考えることが出来る余裕がある。この教訓は将来に生かされるべきだし、きっと生かされるであろうと信ずる。
 しかし、国民は此処で一旦歩みを止めてこの国の現状とあるべき姿を考えるよい機会であると捉える必要もある。それは国民一人ひとりが責任を以って関わる社会体制でなければならない。そこには「国是」が必要では有るまいか。
 イスラム教の貧困国は政治体制が貧弱である。従って、国民は福祉・医療・教育・就職支援等生活の全てを援助してくれるモスクと老師に絶大な信頼をおくことになる。
 一方、民主主義思想が国民に行きわたった先進国では国民の自助的活動(奉仕活動も含む)に重点があり、これを国家が補完する。つまり国家は国民の良心に期待をしている。日本はどうだ。国民の選んだはずの政治家は国民を信じていないし、期待もしていない。こんな先進国が他にあるか。

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