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2011年8月

2011年8月30日 (火)

神聖ローマ帝国への旅 2

 神聖ローマ帝国は今で云う中央ヨーロッパに当たる。EUの母体となった地域でもある。古代ローマ帝国中期より宗教、取り分け、キリスト教と国体は関係を深めている。政治は宗教の権威を利用するし、宗教は利権の保障を政治に求めるのだ。中世ヨーロッパの各国の国王や皇帝の載冠式には必ず教皇や大司教が冠を授ける。
 選ばれし者は権威や象徴を必要とする。かれら国王や皇帝の立場は東洋のそれとは違って、天の啓示やその天孫の血筋に由るのではない。選ばれし者、乃至は、闘争勝者がキリスト教の権威のもと国王と為る。
オランダのハーグには国際司法裁判所が、ブリュッセルにはEUの本部がある。そこに国民国家でない連邦制国家のDNAが潜んでいるような気がしている。

2011年8月26日 (金)

神聖ローマ帝国への旅 1

 ドイツとその周辺国への旅からこの火曜日に帰国した。10日間に亘る初めて行くヨーロッパへの旅であった。ヨーロッパに対する私の興味は古代ローマ帝国とEUについてである。
 ドイツの「トイトブルグの森」の戦いはDC9年にライン川とエルベ川に挟まれた地域で展開された古代ローマ軍とゲルマン民族との間の攻防戦でローマ軍が撃退された戦であったそうだ。
 ドイツとその周辺国の歴史は古代ローマ帝国とゲルマン民族他の大移動によって起こった集合離散の歴史である。取り分け、この地域の歴史は他のヨーロッパの歴史よりも複雑で世界史にも余り出てこない。
何回かに分けてこの歴史観を私なりの理解で書いてゆこうと思う。

2011年8月12日 (金)

神聖ローマ帝国

 14日日曜日から10日間家内と一緒にヨーロッパの旅に出る。周る先はドイツ西部からアムステルダムとその近郊、ブリュッセルとその近郊そしてルクセンブルグと謂わば嘗ての神聖ローマ帝国の版図を周る。
 初めてのヨーロッパへの旅であるがグルメとファッションとは隔たりの大きいプログラムである。
決め手は場所が場所であること、JALの直行便のビジネスクラスに3連泊2回の宿泊であることに加えて料金がエコノミークラス利用と余り変わらない事である。
 今回の旅にはパソコンは持たない事にしているので、このブログも10日余りお休みとなります。
帰国後は、またその報告もしていきますので宜しく。

2011年8月11日 (木)

蝉の声

 今年は例年になく梅雨明けが早く、しかも、昨年同様に酷暑の出番。うだる様な日々の連続である。
しかし、盛夏なのに何かが足りないと思っていたら、そうだ何時もの降るような蝉の声がないと気付いた。どうしてなのか色々考えたが、思い当たるのは東日本大震災で大地が思いっきり揺れたことで蝉の幼虫が世に出ることを躊躇ってしまったのかもしれないということ。素人の思い付きではあるが強ち間違っていないのかも知れない。人は何でも関連付けて考えてしまうものかも知れない。

2011年8月10日 (水)

酷暑

 いやー、タイトルを決めるだけでももう暑い。昨日は家内の従兄弟の牧師がコネチカットから帰国していて家内の実家に来るというので、少々早いが我が家の墓参りを兼ねて出向いた。我が家の墓は私の生まれた市原市の五井にある。炎天下の墓地の暑いことと云ったらこの上ない、木陰の無いところで草取りをし、しきみを挿し、お線香に火をつける、これだけで実に汗みずく、思考停止である。早々に車に逃げ込んで実家へ向かう。此処でも、また、墓参りと酷暑を十分味わうことに!
 早く、亜熱帯と化した関東を離れたいと切に思う。

2011年8月 8日 (月)

来週からヨーロッパ

 14日から10日間、ドイツとベネルクス3国を旅する。先週末は地図帳と歴史資料を広げ、古代から中世にかけてのヨーロッパを食卓のテーブルの上で旅をした、一日かけて。
 予て、古代ローマ帝国以後のヨーロッパの地政学に関心があったが、余りにも広範囲でかつ掴み何処の無い歴史に実感がわかなかったのだ。
 今回、現地に行くという視点から改めてかの地の歴史にフォーカスすることで、多少、教科書の域を超える事が出来るようだ。
神聖ローマ帝国(教皇と皇帝)、フランスの興亡、レコンキスタ、ドイツ・オーストリアハンガリー帝国等興味は尽きない。
 また、お土産話をしよう。

2011年8月 2日 (火)

家族がひとり減って

 減ったと云っても他界したわけではない。好きな人のもとに旅だっただけである。その後、家内に手続き上の頼みを数回連絡してきただけで、その後、何の連絡も無いのだそうだ。夫婦はともに不満である。事あるごとに頼りにされるだけで後はなしの礫である。何という身勝手!
 しかし、彼女が去って気づいたことが一つだけある。それは何とまあ彼女の五月蝿かったこと、良く云えば存在感はたっぷりあったということだ。今は静かにアダルトな世界を満喫している。

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