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2011年11月

2011年11月28日 (月)

天災・人災或いは災難

 先ほど、タイランドのアユタヤにある現地法人の幹部の方からお見舞いのお礼の電話があった。今回はとんだ災難であった。チャオプラヤ川上流の50年に一度と云う大洪水がタイ北部からじわじわと下流にある工業団地や都市部に迫り、大半の街が洪水に沈んだ。此処に暮らす人々や企業に甚大な被害と障害を生じさせた。
 現地の生産のストップで生産に支障をきたす企業群も多くあったようだし、此処でもサプライチェーンの供給障害リスクを浮き彫りにした。
 人は、絶えず自然と対峙していることを忘れてはならないし、その影響を最小限に食い止めねばならない事は当然のことである。
 だが、しかし、生じてしまった事態を受け入れ、そこから立ち上がる勇気や気力も必要であることに変わりはない。

2011年11月24日 (木)

心に残る旅とは

 よく、テレビなどで「貴方にとって心に残る旅は」という番組が有ったりするが、先ごろ訪ねた京都への旅も多分「心に残る旅」のひとつになるだろうことは間違いない。
 「心に残るひと」と云うのもある、先ごろ立て続けに同窓会が有ったりして懐かしく、思い出深い人に会う楽しみも有った。
 旅もそれぞれ、人もそれぞれ、折々に思い出深い記憶は存在する。

2011年11月21日 (月)

鳥羽伏見への旅

 先週末、京都への旅をした、妻も同行したのは何時も通りだ。京都へは何回か行っているが、京都通の友人の言を入れ、今回はホテルはB&B、昼食や夕食はお勧めのお店を探訪することにした。
 グルメの旅ではなく、実は、新書版で読んだ「鳥羽伏見の戦い」の戦場を検分することがその主な目的であったのだ。
 鳥羽伏見は観光タクシーで回るのが合理的とみて、戦跡から城南宮・御香宮、寺田屋、宇治の平等院と廻った。
 しかして、書籍にあった戦跡の碑は諦めかけていた帰路で、偶然、ガードレールの陰に見つけた時はこれで今回の旅の大半が終わったような気分であったし、その日の夕食はやはり友人紹介の「おばんざいやさん」で京野菜や美味しいお酒で至福の時を過ごせ、稀にみる爽快な気分の夜を過ごすことが出来た。
 タクシードライバーにもこんな目的に付き合ったのは初めてだと謂われ、彼のお勧めで買った事務所のお土産は関西仕様の「どんべい」であった。記憶に残る実に楽しい旅であった。

2011年11月16日 (水)

TPPと東アジア共同体

 過日、APECハワイで野田首相がTPP参加交渉協議に入る旨の表明があった。この段階で日本のスポークスマン(官房長官)とアメリカの報道官の交渉範囲について理解の相違と云う奴が表面化したとある。言ったとか言わないとか、日常でもよくある。しかし利害が絡むとややっこしいことになる。この場合外交だから国どおしの駆け引きがあることは歴然である。訳も分からずヒステリーになる必要はない。外交が旨く行かないその遠因は全て国民にある。自分達で作った国であり、政治家や官僚達であるのだから。
 また一方にASEAN+3とか6とか言う経済圏が取り糺されている、ある時突然この構想を披歴した首相がいて皆びっくりしたことがある。
 何れにしても、TPPのアメリカと東アジア共同体構想の中国との利害の調整がつけば格段に大きな自由貿易圏が生まれる。
 日本もそろそろ、こんな構想のかけ橋と為らん位の気概を示すことは出来ないのか。

2011年11月15日 (火)

お詫び

 世の中、色んなお詫びが存在する。私に限って、世の中や妻にお詫びしなければならない事は一つもない。しかし、ここまでブログを書き続けていると傍から見れば何を怠惰な最近のブログは!とお叱りを受けそうで身の縮む想いもある。勿論、私の思い過ごしである。
でも少し同情的に見てもらえば、少々書きたくない気分や忙しさに紛れてしまうこともご理解いただきたい。
 このブログの企画者も昨日から産休明けで事務所に出社している。早く元の感覚を取り戻して職場復帰を果たしてもらいたいと願っている。それにしても「私のいなかった半年の体たらくはなに!」とこちらも叱られそうである。

2011年11月10日 (木)

人事 2

 本日午後、懸案の人事案件2件が事もなく無事に解決した。明日の理事会を控え急を要するところだったのだが、極めて短期間に、しかも、スムースに事がなったのには、実にホッとしている。
 昨日も書いたが、実に幸せな環境にいることを噛みしめている。

2011年11月 8日 (火)

人事

 今回、次年度の八千代ロータリークラブの役員人事を決める時期になって「押っ取り刀」で調整に入った。何事も差し迫らなければ動かない何時もの私の如くに!
 6日の地区大会で火が付き、昨日で大方の構想が固まってホッとしている。今までにも役員人事の編成を経験して来ているので、そこに共通することと云えば、これで凡そ、組織の活動の帰趨が決まってしまうと云うことだ。後は、時機を間違えずに動くこと。
 これまで良きロータリアンとは程遠ったが、今回の人事の要請にNOと云った方は一人もいなかった。その友情に感謝すると供にそれに応えなければならない使命も伴うのだと自戒している。

2011年11月 2日 (水)

チョコレート

 8月中旬に中央ヨーロッパ(ドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ)4カ国に旅したことは以前書いた。その際、旅の目的や感想を書いたが、一つ漏らしていたことがあるので此処に書いてみる。実は昨日、チョコレート製造に関わっている方々と会食をしたときにベルギーその他の国のチョコレート談議になったのでその模様を描いてみる。先ず、先だって頂いたアメリカ製のゴディバのトリュフの話からマレーシアの旅で食した現地ブランドのチョコ、そしてベルギーのチョコと数々の産地やメーカーの話になって、結局は、チョコレートは文化であるというところに行き当たったのだった。
 原産地でいけばマレーシアでカカオは採れる、しかし原料がとれるから美味しいとは言えない。ベルギーは原産地から遥かに遠い。しかし嘗て植民地であったところでカカオ豆が採れた。そしてその食文化の高さ(貴族がいた)が上等のクーベルチュール(チョコレートの原料)の製法を産んだのである。文化が美味しいものを生む。

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