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2012年7月18日 (水)

租税正義はなぜ必要か

 昨日、社長塾の後の交流会の席でまともな納税など馬鹿馬鹿しいと云う話が出た。これは、度を越えた節税と云うよりは、この社会で公正な負担など馬鹿馬鹿しくてやっていられないという議論に等しい。
 普通に考えても、社会的負担やその他の義務は少ない方が謂いに決まっている。しかし、我々は社会システム無しに生きてはゆけないのも事実である。
 決まったシステムに信頼が出来なくなったなら、変えればよい話だ。ひとり上手くやろうとする輩が多くなればその社会の体制は維持できない。今のギリシャやイタリアの租税の捕捉率はかなり低いと云う。国民が国を信じられなくなれば破綻する。
 小学校の租税教室では、アニメで税金が無くなった社会を見せている。

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