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2014年2月

2014年2月28日 (金)

競争と挑戦

 最近、勝ち組負け組やチャレンジについて書いたことがある。政治・経済・社会の各サブシステムの中にも前述の要素は存在するが、とりわけ、経済分野は正しくこの色合いが深い。
 勝負は勝ち負けを明確にするし、分かりやすくもある。敗者は必ず出る。勝者はともかく敗者の居場所はどうなる!世の中すべてが継続を前提としているとすれば、敗者の居場所はこの世にない。一方、挑戦は成功者と失敗者を生む。成功者はともかく、失敗者は再挑戦の機会が与えられれば敗者復活のチャンスは存在する。
 この世の中、弱肉強食の論理が蔓延ってはならないのだ。チャレンジできる環境を提供することこそ、そして敗者復活のチャンスを与えることこそ政治の役割だと思う。

2014年2月27日 (木)

御御御付けと味噌汁

 味噌汁は兎も角、御御御付けについて改めて確認したことがなかった。これを書くに当たって、電子辞書で確認したら、何と味噌汁の丁寧語だという。私の今までの認識は、味噌汁は味噌スープ、御御御付けは具沢山の味噌煮込み風スープという理解であった。
 それというのも、母の味噌汁が具沢山のそれで、結婚してから家内の作る味噌汁も全く同じく具沢山のそれである。
 私の勝手な思い込みで、味噌汁は出汁の効いたスープに豆腐や揚げ、ワカメやなめ茸が浮いたもの。スープの水面からそそり立つ様に具の入ったものを御御御付けという風に理解していたのだ。
 家内に上品な味噌汁が頂きたいと懇願しているが、栄養のバランスを考えているから却下という。願いは一生叶えられないかもしれない。

2014年2月26日 (水)

人格

 経営の優劣と人格は何の関係もない。優秀な経営者は人格者であるという相関関係は全くないということだ。一方、世の中に「勝ち組」、負け組」という分け方がある。一方で成功しているという言い方もある。以前に仕事で関わった元国連勤務のお客様がうちの事務所を訪ねてこられたとき、事務所の雰囲気を見て「齋藤藤先生は成功されていらっしゃいますね。」と声をかけられたことがある。
 勝つ、負けるは競争の世界、成功、不成功はチャレンジの世界。競争の世界には必ず敗者がいる。チャレンジの世界は挑む人と挑まない人がいる。
 地域経済にはチャレンジできる環境整備が重要だと思っている。

2014年2月25日 (火)

 旅の思い出には色々ある。中でもよく甦る思い出、懐かしく思い出される旅の一シーン。これらは決まってスケジュールを熟すような旅にはない。パッケージツアーでもフリータイムの時とか、予想外の出来事とか、プライベートに組んだ旅とかに多くの思い出が詰まっている。
 先ごろ、家内が長女とロンドンへ行こうかなーと言っている。嘗て、交換留学で我が家にも滞在していたエリシャがロンドンで結婚するのだそうだ。招待状が届いたら行こうと相談している。もちろん私は留守番である。外国語が出来るっていいよなあ!私も行きたい。

2014年2月24日 (月)

敗れざる魂

 先週央、冬季オリンピックの花、女子のフィギュアスケートが始まった。男子は予想を超えた本邦初の金メダルの獲得。これは以前に書いた。この勢いで女子のメダル獲得は期待は大いに高まった。未明のショートプログラムがあった翌朝のニュースは彼女たちに気を使ったのかそのことに触れない。真央ちゃんは茫然自失の16位。前回を上回るメダルどころか、入賞も危うい。画面で彼女の顔を見るのが辛い。翌日のフリーの始まる直前の彼女の表情は眠れぬ夜を過ごしたように目は腫れ、悲しみに沈んだ表情である。
 有終の美を飾る大一番、こんな筈ではなかったのだ。昨夜の絶望を忘れるには如何にも若い。しかし結果は違った。最後にふさわしい爽やかで伸び伸びとした演技、終わった後の微笑みと涙。きっと、これが彼女のこれからの人生の支えになる。多分相違ない。

2014年2月21日 (金)

経営

 いま、ストーリーとしての経営戦略という本を読んでいる。経営とは、広辞苑によれば、継続的・計画的に事業を遂行すること(また、会社・商業などの経済的活動を運営すること)と云う。一方で、力を尽くして物事を営むこと、とか、あれこれと世話や準備をすることという意味もあるのだそうだ。
 力を尽くすとか、世話や準備をするということは一般に謂う「経営」にも通ずると思うのだ。また本義として、継続、計画という言葉もある。経営は理屈と勘と度胸であるとも謂える。成功に法則はない。閃きや想像からエッセンスを抽出し、解析して完結したモデルを作る。全てに情報と知識、資源の調達これらのバランスの上に経営は成り立っていると思う。

2014年2月20日 (木)

人生に定年はあるか

 人生に定年はない。しかし、役割には定年があると思っている。順天堂大学から来期の講師の継続要請が来ている。今年度で辞めたかったが、若者との関係を断つのも惜しい気がして逡巡していたのだ。
 話は変わるが、昨日のテーマで誤解があるといけないのでここで補足しておく。何も全てに今まで通りの立場を堅持していこうというのではない。65歳セミリタイヤも70歳リタイヤもそこまでに果たさなければならない目標値として設定していたまでで、世に、仕事に出しゃばるつもりは毛頭ない。
 果たすべき役割を設定し、それを構築していく、つまり、責務を果たす為の目標値を設定したかっただけだし、生涯現役と云っても、職場や経済社会で現役を張ろうなどとはツユも思ってはいない。

2014年2月19日 (水)

積極的現役主義の勧め


 最近、「今年もう年金受給者ですよ。」と云うと「お若いですね。」とよく言われる。だから言うのではない。嘗て、65歳でセミリタイヤ、70で勇退と人には云ってきた。でも最近は違う。実際に年金受給の手続きを始めると最近は「いつも元気で、何事にも現役でいたい。」とそう思うようになってきた。人は立場が変わると生き方も主義も違ってくる。
 周りの人たちに迷惑にならないように「楽しく、自分らしく」生きるとしよう。

2014年2月18日 (火)

「忠犬ハチ公」になれるか!

 昨晩、我が家の愛犬は「忠犬ハチ公」の様になれるのかと、ふと思った。私が死んでしまった後なのでどうでもよい話ではあるが、今の関係がどこまで深いのかそんなことを知りたいと思ったのだ。
 定期的にくる医療費の利用明細を見ていて最近、我が家の医療費の増加も高齢化を示す指標の一つだろう。もう少し健康で気分的に余裕をもって次世代を育てつつ、初老の世界を生きることとしよう。

2014年2月17日 (月)

先週末

 14日の金曜日、朝から雪。週末はまた雪掻きか、今日は新宿から帰れるか。こんな週末入りをしたのだが、この週末はこの他にも話題は十分。沙羅のメダルはお預けで彼女の心境に同情するも、その分男たちが頑張り久々に明るい。雪の後の雨はまさに慈雨、傷心の後の誇りとレジェンドの復活とドラマチックな週末。
 それにしても、彗星のように誕生したスターは19歳。彼もその成長過程で幾つかの苦難を乗り越えている。不屈の魂は強い。そんな週末を堪能したのだった。

2014年2月12日 (水)

京都迎賓館

 昨日は妻も長女のアパートに行き、家はわたしとMAYだけ。昼飯も夕飯も一人で勝手にやる。もちろん、アルコールは飲み放題。雪模様の上に寒い、オリンピックは詰まらないので、本を読んだり、BSを観たりののんびりして過ごす。外野の声がないのがいい。とてもいい!
 BSの番組の中に「京都迎賓館」の内部を案内する番組があり、興味深く見た。東京にある迎賓館は万事洋風で飯、いや、食事はフレンチ。これでは日本らしさを味わってもらうことが出来ないと、日本文化の拠点、京都に平屋の日本の技を凝縮した館を建て、京料理で持て成すというのだ。
 すべてが技の極地の逸品揃い、イヤー、文化は技もお金も掛かる。王朝文化、貴族文化、宗教文化、このようなものが美の原点か。そんな思いでテレビを見た。

2014年2月10日 (月)

2月の大雪

 土曜日の未明から降り続いた雪は我が家の庭で50センチを有に超え、長靴でも入れない位の積雪で記憶上の記録を超えた。
 まず、導線を確保した後は(これも半端ではなく困難なもの)MAYを庭に放す。これが又、MAYの喜びようも半端でなく、積雪の中をダイナミックにドッグ・ラン(この日は二回も放したのだ)。その喜びようと云ったら無く、飛び跳ね、顔を雪に突っ込み、のた打ち回る様は狂喜そのもの。
 お蔭で二日連続(家と事務所)の雪掻きとなった、周りは私のギックリゴシを心配して優しく配慮。これも年を取ったことの証か!

2014年2月 6日 (木)

寄り添う

 仏教のそれは「慈悲」であり、儒教のそれは「仁」である。仏教は修行であり、儒教は精神文化である。人は如何にして生きるべきか。それも、年金受給資格を持つ身は!一仕事終えた者のその後の人生について考える。  平原綾香の唄う歌に「ジュピター」という曲がある。私の好きな曲である。
その中に、「心の静寂に 耳を澄ませて 私を呼んだら どこへでも行くわ あなたのその涙 私のものに」というフレーズがある。こんな生き方がしてみたい!ジュピターはギリシャ神話ではゼウスである。

2014年2月 3日 (月)

神はどこに!

 「世界ふれあい 街歩き」というBSプレミアムの旅番組をご存知か!毎週録画して楽しんでいるが、今回ご案内するのはインドネシアのバリ島である。私も昨年視察旅行のついでに立ち寄った?処で懐かしい。
 ご存知のように、バリはインドネシアには珍しいヒンズー教徒の多い島である。街の至る所にヒンズー教のお供え物が置いてあったりしてエキゾチックであるし、お供えをしている娘も、また、美しい。
 そのお供え物を拵えている母子の傍に佇む哲人のような老人に旅人が尋ねる。「神様をどう考えるか」と。その老人は応える。「神は人の中にある。人は神の中にある」と。やはり哲人に違いない。

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