母の愛、父の愛
ほかの国のことは知らない。日本での愛、いや、我が家でのその愛にははっきり違いがあったと思っている。果たして、妻の注ぐ愛情を埋める形で私の愛があったとは思っていない。いや寧ろ、我が家では私の注ぐ愛の埋め合わせは家内がしていたのかも知れない。
私は娘たちにそそぐ愛ははっきり自覚して行使していたからだ。人生たった一度の重要で責任の重い行為を私なりの仮説で愛を行使してきたのだ。成功だったか失敗だったかは分からない。
しかし、今は幸せである。
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