熱き日常
情熱、大望、志、大成など人の生き方、人生について回るアクティブな生き方を表わす表現も多い。しかし、世の中の大勢の人が大望を抱いて一角の人間に為れるわけではない。大方は市政の中で人知れず生きてゆく人生を歩むのだ。
でも、でもである。そんな人でも熱き心を抱いて生きてはいけない道理はない。世の中はその時代動かす偉大な人物を必要とする。が、これに追随する民衆に熱き心がまた必要である。私はそう思って生きている。世の中の隅にでも情熱をもって生きている人々は存在するのだ。
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情熱、大望、志、大成など人の生き方、人生について回るアクティブな生き方を表わす表現も多い。しかし、世の中の大勢の人が大望を抱いて一角の人間に為れるわけではない。大方は市政の中で人知れず生きてゆく人生を歩むのだ。
でも、でもである。そんな人でも熱き心を抱いて生きてはいけない道理はない。世の中はその時代動かす偉大な人物を必要とする。が、これに追随する民衆に熱き心がまた必要である。私はそう思って生きている。世の中の隅にでも情熱をもって生きている人々は存在するのだ。
この間、ロータリークラブで行った旅行の写真を家内が見て、「最近、貴方はこんな風に背中が丸まっている」とその写真を見て呟いた。そこにあったのは右斜め後ろから取られたスナップ写真だ。まじまじと見ればそこに居るのはどこかのおじさん。どおりでこの間、セミナーの帰りに乗った山手線で大学生と思しき若者に席を譲らてた衝撃が納得出来てしまったのだ。
前にも書いたが、自分を客観視することの難しさをいやと云うほど知ってしまったのだ。これからは人の忠告を真摯に受け止め、かつ、背筋をピーンと伸ばして前を向いて歩いてゆきたいと思う。間違いなく!
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、相続税に一定の要件を満たすと住まいの宅地の評価が通常の評価の2割評価に出来るという特別法がある。
相続の対象者が所有し使っているものすべてが対象になるわけではない。相続する一定の相続人に当てはまる人に対して約100坪まで先ほどの評価減が出来ると云うもの。
坪単価の高い地域にお住まいの方程関心も高いし、影響も大きい。要は相続発生以前に要件を満たす所有と利用と親族関係を点検しておくことが肝要である。しかし、法律にはその趣旨にそぐわない案件も出てきてしまうことも多い。現実に有用な定めであるか常に点検も必要である。
先週末ニューアイアンが届いた。日曜日はラウンドの予定が入っていたから気持ちの方は金曜日の夜から早、コースの上である。
日曜日は雨模様の気配であるが、私は強行の積もりで居たのだ。結果は雨の心配は全く無かったし、お試しも出来、かつ、結果もよかった。
私の選択に誤りはなかったのだ。これで、私のスペックはゴルフ更年期障害が始まる以前の物は一新された。謂わば、ニュー齋藤の始まりである。これに行き詰ったら、まだ、プライムとXXIOのフォージドがある。
NHKの夜の番組で何曜日の放映か分からないが「サラメシ 昼が来た!」と云う番組があって、ナレーターが中井貴一。このコンセプトと中井の軽妙な語りと相まって番組がとても面白い。
これに倣って私にもニュークラブが来た!と叫びたくなったのだ。今はトップシーズン、芝は青いし空気も爽やか。当然ゴルフの内容もそれに合った充実したものとなるよう祈るのは当然である。ニューアイアンを携えてこの日曜日はラウンドと行きたいものだ、晴天を祈っている。
2050年には日本の人口が1億人を割るかも知れないという、いま、人口減少社会の真っただ中にいる。とは言ってもヨーロッパの大国イングランドでも人口8千万人なのだ。但し、人口構成の問題があるから容易く議論できないが。
これからの日本の生きる道はどんな道か、本当は国民的議論がいるのだろうが、集団的自衛権で目いっぱいである。
私は、古来の日本的独自性の磨き上げとICTと製造技術の融合によるクオリティー追求型でよいと思っている。
日本独自の景観や人情や風習と独自の物やサービスの提供がこれからに日本の生きる道と思っている。独自性や技術はこれを生み出すための教育と環境が欠かせない。今こそ視野の広い、独自性と自立性を身に着けるための教育が求められているような気がするが!
今、地方創生で有名になった島根県隠岐諸島の海士町という過疎地にある廃校同然の高校を「島留学」と云うキャッチフレーズで蘇らせた話である。
ここでのコンセプトは多様性と自発性だろうか。過疎地の自然豊かな地で自ら考える教育に都会育ちや海外からも学生が集まるという。
この取り組みのキーマンはソニーの人事部からの転出の岩本悠氏と町長の山内道雄氏である。岩本氏は嘗て、この町の中学校に出前講師で出向いたことがあり、それが縁でこのプログラムを担当することになったという。かれは学生時代から東南アジアの各地で生活現場を体験した徹底した現場主義者のようなのだ。今、異端の人材育成が地方から始まっている。かれは今年の4月から島根県教育魅力化特命官として全県で活躍中とか!
何度か書いたことがある気もするが、この処、ドライバーの飛距離が落ちてこれに連鎖してスコアが100を超えることも多く、大変めげていた。
最近、スコアも回復し、自信も戻ってきた。何が変わったかって、気持ちの持ち方だ。往年の飛距離は望むべくもない、為らばどうしてゲームを作っていくか、冷静に考えることが出来たことが大きい。
そうこうするうちにドライバーの飛距離も復調気味である。前にも書いたが、ゴルフにも更年期障害は存在するのだ。
人には其々色んな方面でお気に入りってあるものだと思う。普通プライベートな問題だから人には話さないし、ましてブログなどには書かないものだ。
しかし、世間の常識を超えて敢えて書くが最近頻繁に脳裏に浮かぶことを書いてみる。それは白髪交じりの短髪で少々皺は増えたが色白で眼鏡の奥から微笑む家内の笑顔である。
惚気でも自慢でもない。ふと浮かぶ彼女の笑顔が私の心を幸せな気分にしてくれる。
日経MJの一面に我が国の牛丼チェーンの近況が載っていたが、ゼンショウーの値上げで200円台牛丼が無くなるという寂しい話だ。もっと悲しいのは値上げで昼食時の常連客の3割が自弁とコンビニに流れるという。これをデフレマインドと云わず何と云うのだろうか。賃上げ企業の話はあちこちで聞くが、世の中まだまだデフレ感が蔓延っているらしい。
どうしたら、消費は上向くのだろうか。
最近は、地域創生だの日本創生だの喧しい。維新後の急激な国力増強には絶対的な中央集権型国家の創生は必然であった。がしかし、日本は本来中央集権型の国家であったのだろうか。古代の小国家群、中世の荘園文化や近世の封建制は結構地方文化が独自性を持っていたのではないか。
これからの地方創生は地方の資源、人材、文化をグローバルに展開していく位の発想が無くてはならないだろう。
島根県の隠岐の島の島前高校は国内だけでなく広く世界から島留学生を募っているという。中世のイタリアは小国家群が競い合っていたが、例えばフィレンツェのメジチ家などは世界各国と貿易をしていたし金も貸していたという。地方から世界を窺がう位の展望がいる。
昨日、ホームコースで30人ほどのゴルフコンペに参加してきた。年度初めとて、会員が52人程いる会のコンペ後は総会に始まり表彰式となったが、昨年の事業報告の中に成績一覧があり、2位一回、ベスグロ一回とつい最近までは結構いい戦いが出来ていたのだと一年前に遡っての感想である。
ところで、ここの処の不調の原因が最近垣間見えてきたのでこれはこれで朗報である。原因は唯一老化であるし、問題はこれに気付かないことであったし、また、対処法も見い出せないことであろうか。
昨日は何かと収穫の多かった一日である。プロのアドバイスも入れ、ノーマルロフトから2度立ったヘッドに、シャフトはRのNSプロ980で行こうと思う。
企業経営も成長カーブのどの位置にいるかで、採るべき戦略は変わる。全く同様である。問題は現在位置を正確に捉えることである。
先月末から休暇を取っていたので一週間ほどの連続休暇となった。前半は何時もの木島平のコテージでMAYとスキー場や牧場などでふんだんに走り回り、後半は娘や孫とのお付き合いとマイホームジジ・ババを演じた。
家族構成やその年齢、自分たちの境遇などでプライベートな時間の使い方は大きく変わる。一方で、社会や職場での立場から見る視点もある。
家庭での振る舞いや社会での立場、これらにきちんと対応していくのが私の流儀。はて、フレームワークを鮮明にしていかなばならない。そんな年齢である。
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