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2015年6月

2015年6月30日 (火)

人生のスケデュール

 最近の心境は何回か書いた。今私が通常のスケデュールで連続何日自分の時間が取れるのか考えてみる。多分一週間とないだろう。これでは静かに来し方、行く末を考えるのには足りない。今自分で調整可能な期間は2週間程度か。まあ、3週間は欲しいところだ。まず障害になるものを優先順位を決めて解消していこう。

2015年6月26日 (金)

ゆとり

 「ゆとり」を電子辞書で検索したら、空間的、時間的、経済的、心理的余裕とでていた。今、私は空間的にはどうか判断しかねるが時間的、経済的には余裕も感じている。
 そこで夏の積乱雲の様に私の心に湧き上がるもの。それは心の渇望である。それを何に求めるかは人によって異なるだろうが、私の場合はどうも霊場を只管歩くことの様に思えるのだ。ひとり仏と向き合いひたすら歩てみたい。思いは膨らむばかりだ。

2015年6月25日 (木)

地方創生

 今どき地方創生と云ったって遅いし、当たり前のことだと思う。中央だけ栄えて地方はぺんぺん草なんて国は何処にもない。
 何回も書いたが、地方が栄えなかったのは、急激な富国強兵策の名残である。嘗て、地方は独自の文化や伝統を重んじた。標準語や都会のスタイルがスタンダードでそれ以外は異端なんて誰が決めた。地方の、もっと言えば、身近なスタイル(モード)はクオリティーの高さと快適さ・迅速さにある。
 生活のあらゆる局面にソリューションの鮮やかさが求められている。謂わば、発止と膝を叩く合点のいくサービスが求められているように思えるのだ、最近は!

2015年6月24日 (水)

節目の巡礼

 前から考えていた西国巡礼の旅について、高野山奥の院近くのお土産物屋さんに西国巡礼のガイドブックがあったので早速手に入れた。これから情報収集と決行の段取りを考えねばならない。そのガイドブックに拠れば、車で七泊八日、歩き遍路で35日とある。1400キロの道程であるし、こちらは仕事を持つ身、一気通貫のスケデュールは組めない。そんことを考えるのも楽しいものだ。振り返る人生、これからの人生、一つの区切りが来ている。祈りの旅はひたすら歩む旅でもある。

2015年6月22日 (月)

聖地巡礼

 先週4日かけて南紀の三つの霊場を巡った。道中はバスの長旅で約千キロは走破した格好である。厳粛さには欠けたが、それはそれで結構意味のある旅であった。何事も現地の空気を吸う事から始まる。経営も順調に拡大し、経営陣が現場の空気を吸う機会が減っていく先に危機が存在する。よくあるケースだ。経験は何事にも勝る。しかし、経験だけでは継続しないのも事実である。
 いま、改めて聖地の意味を噛みしめる。

2015年6月16日 (火)

紀伊半島の聖域へ向けて

 明日から4日間、伊勢神宮から熊野三山そして奥の院のある高野山金剛峰寺を目指す旅に出る。お伴は云わずと知れた従者(家内です)が付く。
 実は4年前、この地をドライブで周遊する計画を立て宿の予約までしたのだが、例の東日本大震災の発生で臆病に吹かれ計画を断念した経緯がある。
 謂わば、そのリベンジであるが、今回はパッケージツアーで端折ることとした。行程を地図で確認すると可なりハードなスケジュールであることが分かった。嘗てはこれを3泊のドライブで走破しようと考えた私の無謀さが浮き彫りになる。紀伊半島は広いし平らではない、見縊っていたのだろうか。いや違う、無理なら一泊や二泊余計に宿を取ればいいぐらいにしか考えていなかったようだ。

2015年6月15日 (月)

信用と信頼

 このタイトルの用語の意味の違いが分かりますか。広辞苑に拠れば「信用」とは信じて任用すること、ないしは、信じて受け入れること。「信頼」とは信じてたよること、ないしは、信じて任せることとある。両者とも信じて任せることとあるから、大して違いはないとお思いか!
 私は全く違うと”信じている”。信用とは裏切らないことだし、信頼は任せることだ。信用はしていても任せられないことは世の中にいっぱいある。
 世の中を賢く生きるためにはその違いを認識することと両者の使い分けを間違わないことである。信用も信頼も出来ない相手は極力避けるに限るし、そのことを標榜していればそんな輩は寄ってこないものだ。経験がそう言っている。

2015年6月12日 (金)

不始末

 一昨日は税理士会の支部の総会があり、終了後は珍しい方や思いがけない人との出会いなどがあり、浮かれてしこたま酒を飲んだ。その結果は意識不明で道路に臥せり通報者から警察出動と大騒ぎだったようなのだが、当方に全く意識がない。
 顔に無様な傷をつくり、マスクなしでは外出もできない。全く無様そのもの。以前も深酒をして階段で転んだこともあったが、今回は全く意識が失せていたから怖いし、家内から詰られても一切の言い訳が出来ない。もうそんな歳ではないのだから、限界を弁えて生きてゆくことにしようと誓う。

2015年6月10日 (水)

沖縄

 先週後半は外出が続きました。雨の中のゴルフコンペに始まり、一泊で那覇にあるTKC会員の事務所見学に翌日の女子ゴルフトーナメントのオープニングを飾るダイキンオーキッドゴルフの開催コースで亜熱帯の雨季のゴルフを体験と滅多に出来ない経験をしてきました。当方は余りの蒸し暑さにエアコンをつけた儘、就寝しすっかり風邪を召してしまったのです。
 しかし、旧友に会えたし、雨季の沖縄を体験できたのもよい経験です。但し、リゾートとしての訪問は乾季に限ります。何故なら、冬と夏では訪れる観光客は間反対です。シニア族は冬の温暖な中でのゴルフが最適です。

2015年6月 2日 (火)

願い、祈り、望み

 このテーマの意図は何だとお思いですか?プロゴルファー鈴木規夫氏が千葉日報に書いていたコラム(目に付くとよく読んでいる、興味深い内容が多い)にゴルフのラウンド時の心構えを書いた記事があった。この記事にはネガティブ感覚ではなくポジティブに、そして、思考は「完了形で考える」とあった。大変興味深い記事だったのでよく覚えている。セットアップする前やスタンスに入る前にあれこれ考えるのではなく、実現したい結果を完了形で考えよという言葉。
 最近、ラウンド始めや物事の開始時にどう考えるようにしているのかと自分自身の対応を考えてみたのが今日のテーマである。
 願い(=WISH)、望み(=HOPE)、祈り(=PRAYER,GRACE)どれで臨むかである。これからも、私はPRAYERで生きたい。

2015年6月 1日 (月)

更年期障害は存在した!

 ゴルフの更年期障害の存在についての話は何回もしてきた。私の今の体力年齢に合ったスペックに替えて臨んだ最近のラウンドから見えてきたものとは!何か。
一に、スペックの適合性、二に、体力維持、三に、戦略、四に思考と自信と云った処か。飛距離も弾道も今の自分に相応しいものが蘇ってきた、嬉しい限りだ。これからも自分を見失うことなく地についた向上心を持ち続けたいと思っている。年齢に相応しい人生の在り方の発見もまた楽しいものである。

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