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2016年1月

2016年1月29日 (金)

人生は黄色信号を渡るのだ!

 大分ご無沙汰をしました。パソコンに向かう暇が有りませんでした。昨日、朝礼で自転車通勤者がその通勤事情を朝礼で話していたので、今日は五十過ぎの人生の生き方を信号に準えて語ってみたい。人の健康は金と時間といい医者選びから始まる。
 健康の秘訣は「一病息災」にある。シニアの健康自慢はえてして短命だし、余命が短い。毎年行く下田のいし塚の女将は一昨年の年末に元気にしていたのにその6っか月後には他界していたのだ。元気一杯の女将だった、病気とは無縁に見えた、それが逝ってしまった、私と同年代だ。
 何時も健康に気と金を使い、相応しい専門アドバイザーをおくことである。日頃の心掛けがいざと云う時にものを謂う。

2016年1月19日 (火)

確定申告時期

 この時期は会計事務所にとっては、所謂、繁忙期であると謂われている。確かにそうでもある、この時期、確定申告が必要だと思われる人からの相談が増える。今年は特に多そうだ、取り分けネットで検索、或は市庁舎の広告を見たという方が多くなる。
 普段、税務と関わりのない方でも地方の実家を売っただとか、賃貸物件を相続して不動産所得が生じたとか云うときに、日頃、会計事務所と関わりの無い方はその存在をどこで知るかであるが、これはもう既に見知っているかネット検索が一般的だろう。
 一方で、金融機関や同業者や経営者仲間から紹介と云うケースも多い。何れにしてもその評判や評価の程度が成約に大きく影響する。そこには「人を大切にする経営」が底流にあると云っていい。

2016年1月18日 (月)

晩年の過ごし方 2

 老境に入って呻吟している今日この頃。こんな場合、人は此の境地から抜け出す方法として幾つか考えられる。
 出家する、其処までしなくとも修行の旅に出る、気分を変えるため旅に出る、頑張って若い頃の様に頑張ってみる、他に生き甲斐を探す等々。
 こんな心模様は誰でも通る道なのだろうか!老人の心境なんて考えたこともなかった。昨日、認知症を取り上げた特集番組を再度見た。認知症予防と認知症患者の心境を考える番組である。傍からは分からないものは沢山あるものだ。老人の心境もそんな年ごろになって初めて解るような気がしている。
 これも自分なりに乗り越えていかなければならないのだろう。手探りで!!

2016年1月14日 (木)

晩年の過ごし方

 課題は山積している。しかし、私でなければ解決できないことは少ない。寧ろ、今後の問題は私自身の生き方や世の中への関わり方に係っている気がしている。
 生涯の取り組みに人材育成があるが、これともう一つ位生涯のテーマをもって生きてゆきたいと思っている。生涯現役を標榜するのならこの位の目標は持たねば生きてゆく意味がないと思っている。余り肩肘張らず揺ったりと嫋やかに楽しくやってゆこう。

2016年1月13日 (水)

モンスターがやって来た

 昨日から週末までの予定で我が家のモンスターがやって来た。早速、夕飯後の母親の遣り方が気に入らないと駄々をこね、私の膝で一時間ほど泣き喚いていた。もう娘は育児ノイローゼ寸前で怒り捲っている。冷静な対応は望むべくもない。ここで存在感を示すのは百戦錬磨の私の登場だ。息子の理不尽な振る舞いに振り回されるようでは人生はまだ未熟だ。相手を想い、立場を理解し、長期的視点で母の愛の存在を示すのが「賢母の遣ること」である。そう意味で彼女の名を「賢美」と名付けたのだ。

2016年1月12日 (火)

白内障手術の後遺症

 昨年10月中旬に両目の白内障の手術をし、結果は大成功であった話は前にした。見え方は自前の水晶体での見え方がプラズマ画像であるならば人口レンズでの見え方は液晶画面のようだとも書いた覚えがある。
まさにその通りだが、鮮明に見えることだけは間違いない。
 しかし、どこにでも問題は生ずる。従前のメガネが全く使えない。前は近眼専用に遠近両用に中近両用を併用していたものが全く使えない。裸眼の視力は余り変わらないのだが、鮮明度が違いすぎる為、中・遠の度数が断然改善されてしまったのだ。
 今度のメガネは主に屋外用に作った眼鏡はゴルフにしか使えなくなり、日常用に作った中・近用はほぼ日常生活をカバー出来てしまうし、遠近用は必要ない。
 肉体の改造はやってみた結果を見てみなければ解決できないことをしっかりと知った。

2016年1月 8日 (金)

喪失感

 一時期日本経済の景況で日本人の自信の喪失感が話題になったが、今はどうだろう。私はあれこれ書いているが、人生の課題の喪失感に浸っている。歳を重ねていれば経常的な作業で気は紛れていて何となく時は過ぎてしまうものだ。
 偶にふうっと我に返った時が危ない。経営課題や世俗的な課題は結構はっきりしているが、やはり、重要な要素は自分自身の内なる問題である。
 年金受給者の世代の生き方をもう一度洗い直す必要があるようだ。

2016年1月 7日 (木)

目当て

 最近、ふっと人生の目当てを亡失することが最近ある。どうも充実感に浸っていられないのだ。亡失感と云ったらいいのか空虚感と云ったらいいのかどうもやりきれないことがある。
 前に男にも更年期障害はあると書いたが、これとも違う。何となく生きるのが億劫になるのだ、別に死にたいわけではないのだが、気力が充実しない。
 今年の私のテーマは「如何に生きるかでなく、如何に関わるか(NO TO ME、FOR SOCIETY)」だと決めた。頭で考えても体が理解していないのが原因らしい。身体一致は努力で埋める。

2016年1月 6日 (水)

NO LIMIT 2(見えない山に登るすべての人に!) 

 昨日に続いて、栗城史多氏について書いてみる。昨日は懐かしくて2010年に発行された著書を読み返した。今日のテーマの副題は栗城氏が読者に宛てたメッセージであろう。見えない山に登るとは、その人の歩む人生のことだし、登頂とは人生への挑戦である。何れも第一歩を踏み出さなければ始まらない挑戦である。
 人生とは挑戦であり、成果は感謝である。ありがとうと云って死ねる人生が最高であると謂う。同感である。

2016年1月 5日 (火)

NO LIMIT

 昨日、NHKの9時からのドキュメンタリーを見た。テレビ版に「栗城史多」の名前があったからである。2012年頃だったと思う、ある書店で「NO LIMIT]と云うモノトーンの表紙の本が目に入った。NO LIMIT ー自分を超える方法ーと云う副題も興味をそそった。衝動買いだった。一気に読んだ、ほぼ2時間程度で。衝撃的だったのは登山をインターネット中継しながらライブで送る本音の呟きがリアルに人の心に響く。なんて奴だと思った。JALが倒産して困惑している婿に贈った。
 暫くして「お父さんに頂いたあの本!どんなに励まされたことか。感謝していますと」。その為に父親は居るのだ!

2016年1月 4日 (月)

2016年の幕開け

 明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。皆さんはどんな年末年始だったのでしょうか。私は年末をいつもの下田で過ごし、正月は施設に入っている母を迎えおせちを頂き、初詣に、家内の実家への挨拶訪問、そして、長女と3人でのゴルフの初打ちと,あっと云う間に年末年始が過ぎ去ったのでした。
 今回は例年と違ったことが二つありました。訪れた孫はモンスターの様に走り回り目が離せません。何を仕出かすのか分かったものではありません。
 もう一つは新年に向けての方針を掲げませんでした。恒例の振り返りと今後の取り組みについてはあれこれ考えましたが、敢えてキーワードにしませんでした。
 しかし今後の取り組みははっきりしています。遣らねばならないことがはっきりしています。
 

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