国策と地方行政
国の政策は天下国家の大系と外交・国防にあり、地方行政は市民へのサービス給付にある。国家予算の執行は金銭で、地方行政の執行は現物給付が原則である。然るに地方行政はサービス給付即ち、ハンズオンサービスが欠かせない。
コロナ禍は将に天から降って湧いた災いである。生活レベルでの話なら地方行政の出番である。地方の長の手腕が試される。こんな時期の勤務評定で合格ラインに達した者が何人居るだろうか。
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国の政策は天下国家の大系と外交・国防にあり、地方行政は市民へのサービス給付にある。国家予算の執行は金銭で、地方行政の執行は現物給付が原則である。然るに地方行政はサービス給付即ち、ハンズオンサービスが欠かせない。
コロナ禍は将に天から降って湧いた災いである。生活レベルでの話なら地方行政の出番である。地方の長の手腕が試される。こんな時期の勤務評定で合格ラインに達した者が何人居るだろうか。
「経営は科学である」は来月号の商工ニュースのメッセージである。世の中デジタル化の波に乗り遅れないように関心は確実に高まっているが、デジタル化がすべてかとのあまのじゃくな疑問も出てくる。デジタル化は即ロジックの世界で論理的思考が支配する世界である。確実に高学歴化は必須で先進国優位、貧しいものは生まれながらにハンディキャップを負うことになる。これが一生続くとすれば拭えない格差を産むことになるし、絶望が支配することにも成り兼ねない。
豊かさや効率化が幸せの条件であれば、かの地に生まれた人に幸せは無縁であり続けることにしかならない。そんな理不尽なことが幸せの根源とも思えないし、思いたくもない。
デジタル万能の世界に未来はあるのか、デジタル万能でない世界に幸せは来ないのか!
強迫観念に囚われながら生きる日々に幸せは来るのだろうか ?
千葉県知事選挙が近い。現知事が3期目への出馬を断念して新知事が誕生することになる。一方で毎日のようにコロナ関連で地方の首長の見解や対策がメディアを通じて流されることが多い。視聴者は各地の首長の主張を聞くことになるがそこの優劣がはっきりしてくる。平時なら兎も角、有事の際はその実力が如実に反映されてくる。
無能な長は有事に適応が難しい。まして、今はVUCA(ブーカ)の時代だ。この不確実で複雑で曖昧な時代には優れたリーダーの存在が不可欠だ。
先端の経営の手法に倣って見てはどうか !
最近、日本の中小企業の労働生産性の低さが話題になることが多いが、そんなに労働生産性が日本の将来を決める重要なKPIか。最近大手電機メーカーからの転身社長の評判が良くないとの報に接して考えることがある。上場企業の使命は高付加価値化とシェアの拡大にある。いわば工業化の最先端を行く使命がある。当然労働生産性を追求することになるし、イノベーションの追及がし重要課題となるのは自明である。
しかし、中小企業にそのまま当てはめて議論するのはチョット可笑しいのだ。無駄を無くし合理的に物事を進めるのがベストとは限らない世界があるのだ。中小企業が生産性ばかりを追い求めていては需要の喪失に繋がりかねない世界もある。ハンドメイド、クラフトの創作に価値を見出すことも、豊かさの中でのテイストとしては高級な価値と認めることも必要である。豊かの中で真の豊かさを求める市場のあるのだ。心して議論するがいい。
近頃、経産省発の中小企業振興政策が発表された。税制上の優遇策や経営改善行動についての補助事業が中心事項である。政策の力点は時代に適応できない企業の淘汰である。
今の事業や職種が時代や将来性に問題がないか、一度立ち止まって考えてみようという。謂わば親心的心配である。一度傍目から事業を見直すいい機会でもある。是非ご一考を !
最近、gBIZIDと謂う聞きなれないコードが散見できる。低迷する中小企業の再建策として経産省の補助金事業の入り口になるコードだ。まず中小企業の救済支援者の専門家や関係団体に取得をしてもらい将来に向けての救援策の入り口なのだ。これも今までの救援策と同じ補助金事業なので元手がいる。自己負担3分の1、補助金3分の2という一見美味しい話なのだが、今までの数ある補助金事業の多くの企業が二の足を踏むのが3分の1でも負担がいるということなのだ。特別定額給付金や持続化給付金が不正受給者まで出して好調なのは元手が掛からないからだ。
ここはもう自己責任の世界の話である。変わろう、現状打破を意を決する覚悟の程が試される。覚悟のない経営者は何れ退場を覚まられることになろう。何故ならば、市場のニーズに応えられなくなるからだ。
ソーシャルディスタンス、リモート、テレワークと人と離れて暮らすことに抵抗なく馴染んできた生活も、梅が咲き、春一番が吹くようになって気分は気ぜわしくなってきた。どこかへ出かけたいなどと反社会的な衝動がムズムズと湧き上がる。まあ、自然の摂理か人はじっと耐えることに不慣れだ。
旅をしたい、異体験をしたいと思うのは正常な人間なら自然の道理だ、幸い我々にはゴルフというミニツアーの体験の趣味がある。辛うじて精神の安定を保っている。ワクチン接種が済み世の中正常に戻ったらさて何処に行くとしようか!
「新たなる常態」とでも謂うのだろうが、コロナ後の働き方や暮らし方にどんな影響が出ているのだろうかと、経済界やその他の分野でも不安と期待をもって望んでいるのであろうが、コロナで「リモート」「テレワーク」といった様式と手法が根付く要素もあろうが、それによって浮かび上がった限界も見えてきている。
世界の基軸の変化はヨーロッパをはじめ先進国などの「大人の国」の環境志向の高まりとエコ感覚の広がりだろうか。車はEV化が鮮明だし、発 電はカーボンニュートラルが鮮明である。
地球や宇宙の存在は永久でも無限でもない。物事には限界と程度の問題が存在する。人間などの生物でなくても無理は何事にも効かないのだ。何事も程度の問題はある。「過ぎたるは及ばざるが如しだ」。
バランスボールというトレーニングツールをご存じか?。直径1~数十センチの人が乗ってバランスをとるトレーニングツールでGYMで今回初めてコーチに使い方を教えてもらった。最近はGYMに行く度に使っているが調子がいい。何せ骨盤が解放されたように可動域が一遍に広がり、体の自由が広がった感じで快適な動きが出来るようになった。ゴルフ番組でよく見かけたボールトレーニングやウエイトトレーニングがこんなに効果があるとは将に「目からうろこ」のようだ。正しい使い方の伝授はトレーナにお任せだ。
春の装いが待ち遠しいこの頃である。偶には一人プレーも楽しい、コロナが教えてくれた喜びでもある。
昨日、長年使っていたPCを変えた。動機はモバイル機能が無制限に使える機種への変更である。コロナを契機にモバイルフリーを実現したかったからである。いつでもどこでも無制限に業務決済やセミナーやテレビ会議等のテレワークに使える機種が必要であるから。事務所としては、万が一の在宅勤務でもPCが無制限に使えれば当面の業務に支障はない。
すでに事務所の業務はデジタル化の大半が完了済みである。「備え有れば憂いなし」とは将にこのことだ。次世代のことは次世代に任せ、将来性のあるべき姿を実現するのが老齢者の役割である。八十過ぎの老体に出る幕はない。
先週末、海外勤務中の娘夫婦とライン会議で団欒を楽しんだが、その時に孫たちの動静も話題になった。特に孫娘の動静はキンダー・ケアという静止画像の情報が転送されて来ていて保育園のような環境でまあ彼女らしく仲間に溶け込んでいる様子は伝わっていたが、長男の様子を聴きたいという申し入れに、実はと学校での苛めの顛末を父親が語ってくれた。予想外の顛末であり、深く納得してしまった。
苛めにあって遣り返す方法の伝授をした処、至極冷静に相手を思いやる言動が聴かれ親が冷静さを取り戻したのだとあった。彼は根っからの平和主義者だ。遣ったらやり返すことだけが問題解決の方法では無いことを分かっている。どうやら孫は将来の国連事務総長候補のようだ。
いま、世の中はカーボン・ニュートラルが叫ばれるようになって環境問題が身近な問題としてクローズアップられている。世の中もう既に女性の力を抜きにして動かない様相は身近に感じている。
ただし、世の中には超然としてジェンダーに鈍感なご仁が未だに日本の中枢に住み着いている恥ずかしさに赤面する思いだ。先進国の中に住んでいるとは思えない化石状態の人が存在している。将来は将来を生きる人たちのものだ。責任を持った行動様式が問われているのだ。恥を知れ !
過日、薬害による横紋筋融解症の記事の中で日付が相違するとの指摘が遠くアメリカ、コネチカット州ハートフォードから届いた。私のブログを遠く異国の地にてチェックしてくれている人が居るというだけで嬉しいものだ。
実は彼が離日する日の将にその日に発症したのだ。彼を見送りに羽田に向かう筈が救急車のお世話になり、回りまわって知れ合いの整形外科医の紹介で入院、手術直前の検査で薬害が判明、その後、直前の手術の中断、リハビリ、退院、その後のトレーニングへと繋がる。だから、二人にとっての実にメモリアルな日のなのだ。その日から早くも一年が過ぎようとしている
指折り数えて自宅の完成を待ちわびる日々だが、やがて彼たちの新居も我が家に並び立ち孫たちも交えた楽しい日々が待っている。今からその日が来るのを待ちわびている。春も近い !
最近、巨大IT産業の弊害や規制の記事が多くなったと思う、特にヨーロッパに多い。1つの巨大なフラットフォーマーが世界を席巻する様は傍から見れば異様に映るかもしれない。1つの企業が富を独占し富が偏在する様はどう見ても異様だ。まるで富と権力を独り占めした専制君主の様に。まるで皆が豊かで争いのない世界を希求するのは正常ではないのかの様だ。
単純に豊かで争いのない世界を求める動きを現実離れしたことと片付けてよいものだろうか !知識偏在で知的資本主義の行き過ぎに違和感を持つのは異常だろうか。
2月17日、忘れもしない「横紋筋融解症」の薬害で七転八倒の苦闘から早、一年が経った。思えば、何を間違えたのか天から降って湧いた俄かの災いに苦闘した日々が昨日の様に鮮明に浮かぶ。
筋肉の喪失による歩行困難、ゴルフは愚かほんの目の前の距離が途方もなく遠く思えた日々、絶望の淵から一縷の望みを賭けたリハビリとトレーニング、あれから一年の歳月を振り返って古希の身に起こった災いを見事に克服した自身を祝ってやりたい気分だ。古希になって味わった絶望との闘いと明日を信じてトレーニングに励んだ日々。今は只々懐かしく、年寄りでも鍛えれば復活出来る喜びと自信。実に掛け替えのない経験をしたものだ。わが人生に掛け替えのない体験をさせてもらった人生最大級の試練だ。
これで、老後も明るく自信をもって臨むことが出来ると信じている。老人にも明るい未来が待っている。健康が何よりの薬である。
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