芽吹きの季節
日本の四季はいい。淀んだ空気が一遍に晴れ天地が命の旋律に満ちる時だ。日本の春は春一番と共にやってくる吹き荒れる風と花粉の舞い散る風情は毎度お馴染みだが、今年はコロナの所為で花粉症の発病が抑えられているという。風邪も同様だ。マスクの効用の様だが、欧米ではマスクの着用の義務化が解消されたとも聞くが、よほどマスクの装着が嫌いなのだろうか?
アメリカに駐在中の孫の友達の誕生パーティでは大人も子供もマスクなどどこ吹く風の様に誰もしていない。
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日本の四季はいい。淀んだ空気が一遍に晴れ天地が命の旋律に満ちる時だ。日本の春は春一番と共にやってくる吹き荒れる風と花粉の舞い散る風情は毎度お馴染みだが、今年はコロナの所為で花粉症の発病が抑えられているという。風邪も同様だ。マスクの効用の様だが、欧米ではマスクの着用の義務化が解消されたとも聞くが、よほどマスクの装着が嫌いなのだろうか?
アメリカに駐在中の孫の友達の誕生パーティでは大人も子供もマスクなどどこ吹く風の様に誰もしていない。
二階のリビングにひな人形が飾ってある。家内が引っ越し等でご無沙汰していた雛人形を飾った。やっと日の目を見たようで内裏雛も嬉しそうだ。日本のこの季節にはひな人形が良く似合う。
彼の地では紛争で家屋敷を失った人もいるだろう。不幸な出来事が繰り返される、誤解や不満、偏見がまだまだこの世に満ち溢れている。日本がその仲介者に為れる日は来るのだろうか。
此処の処、めっきり気温や空気の温もりが心なしか緩んできた気配である。春が其処までやってきたようで、心和む空気が支配している。
末の娘の家族がビザの都合だろうか一時帰国するという。孫たちどんなに変わっただろうか。行きの飛行機搭乗では可成り悲壮な覚悟で臨んだのだが、今回は大丈夫だろうか。夫婦二人だし、孫も成長著しい。今年の夏が待ち遠しい。
今日はご存じ2並びの日だ。次の所謂ゾロ目の日は2222年2月22日つまり200年後のことだから、今この世にある世代は悉く生きていないことになる。
そんな巡り会わせの日が今日なのだが、だからと謂って如何のと謂うことはない。二度と巡って来ない日をどう扱うかはさて置いて、地球にとって取り返しのつかないことは今を生きる人類が遣ってはいけないことだと思っている。
200年後の地球に責任が取れないことはすべきでないと思う。後世に誇れる生き方をしたいものだ。
将にBLACK SUNDAYだった、昨日は。GYMでの成果が順調だった所為もあり、期待するところ大で大いなる成果を期待下したレッスンだったが、期待は大きく外れてしまった。期待した飛距離はおろかスイングの滑らかさは失望の領域だった。期待が大きければ落胆も底なしで将に暗黒の日曜日となってしまった。
精々、言い訳をすれば寒く、地面は濡れて環境は劣悪、オマケに降圧剤を飲み忘れ、頭が重く目が眩む体調不良も調子の悪さに輪を掛けることになってしまった。
言い訳が効く間に調子を取り戻さなければとあれこれ試行錯誤の日々が続く。
まだまだ隠居は早い。そう思わせる事態がここの処多いのだ。専門知識を必要とする場合も多いが、問題を解き明かしてゆくと所詮経験や見識が必要な場合も数多い。
長年会計事務所の重要性は問題解決能力の発揮と謂ってきたが多くの場合正解なことが多いのだ。そんな意味で重要なのは専門知識よりも経験、人格がモノをいう事が多い。30年かけて築き上げた「OUR STYLE(我々の流儀)」の正しさを証明することが多いのには十分納得できる。まだまだ、人の役に立つようで嬉しい。
老人の生きる張合いの一番は孫の成長か、はたまた、世に問う我流の生き方が一般的だろうか。私には未だ熟成していない所為かまだまだこの世に未練が有り過ぎる位だ。世俗的な楽しみに現を抜かし、好きなことに熱中することも数々、マダマダ世俗的好奇心は捨てられません。
出来る事なら、もし現実的社会的要請があれば、引く受けチャレンジも厭わないところです。これって、マダマダ未熟の証左か !
昨日は体調の事を愚痴ったが、今日は快調だ。体調が良いと万事前向き思考に傾くのも面白い。GYMの通い始めて2年、体調傾をはじめ筋肉量が開始時に比べて1.5キロほども増えた。毎日ヘルスメーターに乗るのが楽しみになってきている。これはもう継続の証だ。
筋肉が増えて頑丈になった証に身の熟しは軽快に。身の熟しが軽くなれば行動範囲も広がるし、思考は確実に前向思考に早変わりと謂う、良いこと尽くめである。
筋肉や努力は期待を裏切らないのだ!
私の場合、体調と気分に周期があるように思う、前から私の気質は躁鬱気質と思っているが、体調もどうやら周期があるようだ。終一か月ほど前から起き抜けに頭が重く怠さが残ったが、昨日は洗面中に鼻血が出た。体調が悪いと決まって頭が重く体調が優れず洗面時に鼻血だ出ることが多い。
その原因は思い悩みよることがこれまで多かった。今回も思い当たることがある。見通しが経てば解決するのだが、今の処その見通しは立っていない。この歳になってやり過ごす術を身に付けなければ思う。その原因は睡眠の質にありと思っている。快眠の術を探らなければならない。
今日、朝の歯磨きをしていてはっと思い立った。ある案件で事態が暗礁に乗り上げていて解決の糸口が見えず、苦悶していたのだ。ここ一か月悶々とした日を送っていたのが一瞬にして解決の糸口が閃いた。
私の場合、この種の閃きは、第一に就寝中、第二にトイレ、第三に風呂その他はまちまちだが洗面中は初めてかも知れない。何れにしても課題を抱え悶々としていることの重要さは解決の糸口の端緒でもある。
うちに急成長会社で管理部門の備えが十分でないままに成長し、急ブレーキが掛かっている事例がある。何故管理部門が必要なのか、全てBPO でOKかのような機運が其処かしこで見え隠れ足りもするが。
つまり全て現業部門で直接費偏重の経営を目指すものだ。何故、ダメなのか、組織は人の塊だ。有機的に最適に人力を配分するのはやはり管理の力を抜きにして語れない。大なり小なり社長の片腕は必要なのだ。機動的で有用性に富んだ、つまり固定費要素も又重要なのだ。
中小企業や小規模企業のそれは自ずから小規模(一人何役も多重構造も含めて)にならざるを得ないが必要だ。マネジメント抜きの経営など考えられない。将に企業の心臓部である。
昨日は午後から在宅でWEBセミナーを受講した。嘗て、次女の大学入試の自己推薦受験のための過去問で出会った「神野直彦教授」の地方分権や財政学の奥深さに影響を受けた身としては逃すわけもなく有料の受講料も苦にならない。
テーマは「危機の時代」の財政学。期待に違わぬ名講演であったし、今後の人生に影響を与える稀有な講義であった。偏に教授の人柄に拠る処が多いと感じた。
印象に残った言葉。「たとえ明日、この世が終わろうとも、人間は明日の為に生きなければならない」と、危機の岐路で「SLOW UP AND CALM DOWN(蛇行速度維持)」を合言葉に !
生き方にも影響したセミナーであった。
私の行こうとしている道は何処にある。と謂う問いに即座に答えられないもどかしさがある。近い将来の行く末ももう見え隠れするし、今から足搔いても激変は期待できない。だとすればこの身をどうするか、残された時間を有効に使うしかないのだ。有効に!
昨日、行きつけの家内がこよなく愛する小料理屋に予約していった。テーブルが7つ程の小さな小料理屋だが、亭主が選りすぐりの手料理が自慢で家内が愛する(日本酒やワインの趣味が良い)店でもある。
コロナの所為で一晩一席限定で細々と営業している。休んで補助金申請したほうがよっぽど効率的だと言ったら、コロナ明けに客は戻って来ませんよとのこと。最もな指摘に一同納得ご主人の見事なまでの気概に深く納得したが、話は繋がってやがて筋トレに話しが展開、見事にトレーニングの話で盛り上がった。
彼のパーソナルトレーニングの重要さには一同納得、何故ならば家内も含めてパーソナルトレーニングの効用の大きさを実感している身としては話は弥が上にも盛り上がろうというもの。お陰で5時半に入ってお勘定をしたのは9時を回っていた。いやはや楽しいひと時であった。
人生100年時代の到来と人は謂う。60歳か70歳で現役引退だとすれば残された人生をどう過ごすかはこれからの人生の最大の課題である。
先ず健康であること、気力が十分であることを前提条件にすれば「これをクリアした人の使命は何か」を真剣に検討しなければならない。つまり第二の人生を生きる目標が必要になる。果たして何を目当てに生きることとするかだが、私は次世代に生きる人のための役立ちであると思っている。将来に賭ける、つまり、次世代に生きる人たちのために役立ちたいと思うことだ。
人は目標や目当てを持たずに生きることが出来ない生き物である。
昨日のテーマが意外に反響が大きかったので、少々言い訳を聞て貰おう。30台、40代のような大それた願望ではない。出来るだけ姿勢には 気を付け、お腹のポッコリは控えめ、首や顔の皴は目立たぬように、足腰は出来るだけむっちりと袖からはみ出し、ちょっと若返って見える程度で十分だ!
食生活と運動は欠かさず、気力も前向きそんな前向き思考で暮らして行きたいと思う。
内臓脂肪を劇的に減らすという使命に嘗て読んだ健康読本を読み返した。ヘルシーに関する環境(ジムに食生活環境)は整ったと思っているので、次に明確な具体的な目標を設定する必要が生じた。
その本に会った50代でもホワイトTシャツが似合う体形と謂う目標が有ったので、70台でも似合うホワイトジーンズに白のTシャツが似合う体と謂う具体的目標を設定した。今年の夏に向けて体作りに励まなければならない。
経済成長は資本主義の存在にとって必須の事なのか、停滞や低成長は何故悪なのか。上手く説明できない。不便より便利なほうがいい、貧乏より豊かな方がいい。
毎日緊張した充実感に浸っていたほうがいい、偶にはのんびりと浮世の世情に頓着のない世界観もまたいい。競争よりも協調の方が性に合っている。
こんな感性も世の中の存在として認められる余裕が未だ資本主義社会にはあるのだろうか。
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