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2022年3月

2022年3月31日 (木)

春の幕開け

 プロのトーナメントが今週末から始まる。僕らアマチュアは野別幕無しに行きたいとき行くという、謂わば節操のない遣り方だが、金を稼ぐ身になればコンディションの良し悪しが勝敗を分けるんであれば当然に旬を考える。

 寒い時ぐらい休んでトレーニングに励めば良いものを我儘なものだ。まあ、これが自慢じゃないがアマチュアの特権でもある。好きにやるさ!

2022年3月30日 (水)

経営理念は会社を磨く

 今はパーパス流行りだが、所謂、ビジョン・ミッション・バリューの事だ。これを真剣に且つ深度深く掘り下げることは何時の時代にも必要だし、取り分け、不確実性の高い今日、益々その重要度は増している。

 企業経営になぜ必要かと謂えば、「理念」は誰にも一言で解りあえる共通言語みたいなものであり、第三者にも訴求力を発揮するものである。多難で多様性に富んだ世界ではより一層の重要度があると信じる。

 良い、優れた理念に継続性が約束されていると謂うよう。  

2022年3月29日 (火)

悪意

 世の中、善意と悪意で出来ている。案して、隠れた悪意と謂うのは厄介だ。表面上は善意を装うが実は嫉妬・妬みに満ちた悪意が潜んでいる可能性が実に多い。

 人は他人の不幸を密かに期待するし、陰でほほ笑む。今はメタバースだ、世の中、意味もよく分からず、流行りに弱い。世間がメタバースばやりだと、付和雷同の如く連日マスコミはそれを話題にする。便利なものには常に表裏が存在する。一遍の便利なツールで万事が解決するなどと思う方が

単純である。世の中、巧妙にディープ・フェイクの世界だってある。

 詐欺師は何故、詐欺師かと謂えば心地よく相手を騙す天才である。甘言には常に裏がある。

2022年3月25日 (金)

厳選

 事務所の将来像を描くことから始める。確定申告が終わって、歩みだしたが、将来のあるべき姿についても歩みだしたと謂える。規模は追わず、厳選されたうちの価値観(我々の流儀)に会った先に限定する。これがスタッフにとっても経営にとっても最もストレスを感じずにいられる最良の道である。

 世間にアピールすることも大事だが、アピールに相応しいやり方に拘りたいと思う。今が大事だ、転換期を逃してはチャンスは巡って来ない。今がその時だ。

2022年3月23日 (水)

同輩の死

 それは突然やって来た。昨日、担当が受けた電話はクライアントの突然の死であった、20の日メンバーコースをラウンド中の9番ホールでパッティング中突然意識を失って倒れ其の儘帰らぬ人となったという。死因は解離性動脈瘤らしい。自宅に見舞ったが、まだその顔は心なしか赤みを帯びてその場に起き上がるかのようであった。

 私もショックを隠せない、同じロータリアンでクライアントでもあり、親しくさせて頂いていただけに他人事とは思えない近しい人の死であった。私も例外なく死がすぐ其処にあると思った。承継は恙なく行わなければならないと思った。

2022年3月22日 (火)

確定申告が終わって旅に出た

 14日は大半が終わって勝負がついた。何時もの事だが緊張が解けるこの瞬間が堪らなく好きだ。今年は16日からゴルフに家内との旅、そして3連休と続く。

 ゴルフも一時の寒さは昔の事、空気の緩む気配を感じてのラウンドは快適、久し振りの奥日光への一泊の旅は妻同伴旅行としては2年ぶり、中禅寺金谷ホテルはブナ林の中に建つコテージ風の佇まいが高原によく似合う。

 家から約2百キロ、海抜1200メートルは高原のホテルに相応しいし、温泉は日光湯元からの引き湯で硫黄泉のかけ流しとくれば、温泉地としても格別。

 露天風呂の湯の香りを満喫してすっかりリフレッシュ。たった一泊で実に充実した余暇を楽しんだのでした。

 今度の日光行きは何時、誰と来ようか楽しみが一つ増えた。

2022年3月15日 (火)

組織内変革の難しさ

 従前の組織をあるべき姿に変革することの難しさを十二分に味わっている。ソニーの再生やJALの再生も十分に能力のある人材がいる事が前提だ。能力があって優秀な人材がいるのなら要は風通しを良くする機構改革で良い。しかし、人材が十分でないやる気も不明だと何処をどうして良いのか、何処から手を付ければよいか、まったくと言ってよい程、手の付けようがない。

 いっそのこと、スクラップアンドビルドで行くか、受け皿が会社方式か、何れにしても荒療治は避けられないのだろうか。

2022年3月14日 (月)

柔軟な中に一本芯の通った人生

 しなやかな中にもどこか芯の通った人生を私も歩んでみたいと思った。何と清々しい人生だと、一生のうちには忸怩たる思いや正義を貫けぬ場面だってあったし、決して褒められるような選択でもなかった人生だってある。しかし、外してはならぬ矜持は決して踏み外しはしなかった。

 これが私の人生だったと謂えるような後半生を生きてみたいと思っている。

2022年3月11日 (金)

若さは強さか

 年寄は若さに憧れ、懐かしむ。でも若さは万能か、アンチエイジングばやりの世の中で、でも違うと声を上げれば、年寄りの冷や水と揶揄われるのがおちだ。

 果たして若さは万能か、何にも替え難いものか冷静に考えることも時には必要だ。若輩は経験や体験が圧倒的に足りない。経験しても身に付かない者もいることは居るが、多かれ少なかれ、わが身に何らかの変化を齎すものだと思うがどうだろうか。

 いい年の取り方と謂うものがある。「時は移ろうものではなく、積み重なるものだ」と謂うキャッチコピーは誠に的を得たものと謂うことが出来る。

2022年3月10日 (木)

経営の指南

 中小企業の何でも相談事業は地方経済にとって有益か?最近、商工会議所で経営塾に代わって経営支援セミナー方式で経営塾を運営している。

 これもコロナの影響で正規のセミナー方式が採れないのと事業年度の後半で予算の消化と謂う局面もあるからだが、商工会議所に持ち込まれる相談事の大半は他愛のないものや誤解や無知で正しい判断が出来ない案件も見え隠れする。

 そんな萬相談事を受けてもらえる処は果たして有益なのだろうか。名称は何が訴求力があるだろうか、考えている。人生後半の社会的貢献は次世代人材の育成・教育と経済人の育成だろうか。

2022年3月 9日 (水)

春の装い

 春はウキウキ、気も心もウキウキ。春の訪れは申告時期の終わり。3月の後半の予定は目白押しである。英気を養うとともに事業再生や組織再編のテーマもある。

 企業の在り方や存続についてのテーマは限りがない、会計事務所の存在意義は記帳代行主流の在り方を問う、世の中、DX流行りで記帳システムの企業組み込みは必須であり、記帳代行やBPOの入り込む余地は益々狭くなるばかりだ。今から将来の構想を立て居ておかなければ時代に取り残されるのが落ちだ。

2022年3月 8日 (火)

斜面の芝が

 今日、歯医者への道すがらうちの斜面に張った芝生の目が青さを見せていた。張った芝生が根付いた証で嬉しかった。新生の芽吹きが神々しくも

力強くて思わず笑みが零れてしまうのは春を待つ心の眩しさでもある。ようこそ、春よ、我が処にもやって来たのだと!

2022年3月 7日 (月)

確申期が明けたら

 来週の半ばで確申期が明ける。明ける予定だ。期限の延長はしないのが原則、他の業務に支障を来すので予定通りで進む。世の中、ロシアのウクライナ侵攻で喧しいが、長引けばプーチンの立場も危ういものに為る。世界の情勢は複雑で奇々怪々余程の情報と先読みの力と見識が問われる。

 世界で一番戦争に遠い国でありたいものだ。

2022年3月 4日 (金)

昨日はひな祭り

 女性の風習は優美で優しい。それに真っ赤な毛氈も実に優美である。ウクライナでは婦女子優先で国外退去が進むが、男は建前上避難が難しい無言の圧力と謂うやつがあるからだが、振り返って我が国の大戦中の非国民呼ばわりも同様だろう。その他大勢の言動に吊られて不自由な思いをした人達も多くいたことだろう。

 一方、ウクライナ侵攻から数日経ったが、事が思ったように進まないうちに世界の非難の声が殊の外大きいこと、ウクライナの民衆レベルで抵抗が続くこと、ロシア国内に反対勢力が顕在化することが為政者の最大の敵かも知れない。

 為政者の最大の敵は世論である。

2022年3月 3日 (木)

今が佳境

 3月に入った。後2週間ほどで確定申告期間も終わり、鶯の鳴き声も効かれそうだ。今年も期限の延長規定が適用になるが、1か月もダラダラとやっている暇はない。この後3月決算が控えているし、当地は自然にディスタンスも採れるほどに田舎でクラスターに悩む程でもない。ほどほどに田舎で東京近郊であり、両者の良さは兼ね備えている。何時もの事だが3月になって確定申告の依頼を打診してくる案件に碌なことはないのが通例だ。

 初めから分かっていることに的確に対応出来ない人に碌な人が居ないのが過去の経験だ。これからの打診は例外を除いて引く受けないのが無難だ。昨年は親切心を出して大失敗だった。二度と繰り返さない。

2022年3月 2日 (水)

何処かへ

 春の兆しに心は弾む。体は柔軟に心は軽く、春風に乗って何処かへ飛んでゆきたい。そんな気配がする春の訪れだ。コロナさえなければ今頃は宮古へのゴルフツアーへの手配が進む。もう気分は南国のゴルフ場そして郷土の美味いもの巡りと頭の中はそんな気分で一杯だ。

 そんな日が何時訪れるのだろうか。待ち遠しい限りだ。

2022年3月 1日 (火)

何故、固定費が必要か

 経営に固定費の発生が無かったらどんなにか会計的に経営戦力的にこんな楽なことはない。固定費ゼロと謂うのは、こんなに景気の変動に柔軟に対応できる費用発生形態は無いのだから!

 だとしたら何故固定費が発生する費用形態を経営は選ぶのかと謂うことだ。社長一人が司令塔でその他は現場従業員だとしたら、業績の把握もリスクも柔軟に景気変動を回避できるが景気やその他の業績変動要因に対しては無策でしかない。

 管理部門の存在がなぜ必要かと謂えば、景気の波にスタビライザー時要素や戦略的取り組みに対して参謀役がいないということだ。社長の相談相手が社内にないということだ。つまりプランを立てる人材が居ないということだ。

 安定的、長期的戦略上どうしてもスタッフ機能は必要なのだ。初期は補助そして、将来は参謀役を育てる事こそ経営の要諦である。

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