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2022年4月

2022年4月28日 (木)

人・本(歴史)・旅

 APU学長の出口治明氏の言葉だ。還暦で上場企業を立ち上げ、古希でアジア太平洋立命館大学の学長に就任した今流行りの高年齢で活躍する代表者の一人であり、興味深く言動に接している人だ。

 関西弁で物静かに語る風情は大変心地よく頭に入るし、いちいち合点が行ってしまうのは氏の人柄と見識の所為だろうか。高齢者の多くが学ぶ代表者であろう。人生の糧になる「人・本(歴史)・旅」も人生をよりよく生きるための必須項目と謂ってよい。大いに真似てみたいと思っている。

2022年4月27日 (水)

庭の芝生

 家が出来て、初めての初夏を迎えた。庭に植えた芝生も順調に育っているがまだ不揃いである。植えた芝生が根を張り一面の緑のなるころには本格的な夏の訪れである。

 日差しを避ける若干の手直しが必要になるかも。デッキ家具が揃って日差しを遮るサンシャードの必要も検討しなければ!

2022年4月26日 (火)

今年の夏こそ

 例年なら、3月と9月確定申告後の宮古行きに夏の蓼科行きが恒例だったが、例のコロナで腰砕けになった儘だ。確申後の宮古行きは兎も角、今度の夏の蓼科行きは実現したいものだ。

 場所と時間の移動は何物にも替え難いことを知ったのは、今回の下田行きである。つまったり難題解決の糸口を掴むのはやはり空間と時間の問題であることがハッキリしたことだ。

 その手段を知っていることのプライオリティは計り知れない。

2022年4月25日 (月)

知床の惨事

 何年か前、ロータリーの交換留学で来日していたイタリア・シチリアからの留学生を伴って知床半島の遊覧観光に行ったことがあった。フェルは写真が好きで高級なカメラを持ち、知床半島巡りを楽しみにしていたし、そのために最寄りの宿も手配して期待していた。当日風は或るものの波は穏やかに素人目には映ったが、チケット購入時に天候次第では途中で引き返すと旨とその際の払い戻しの手続きも聞いた気がする。留学生の貴重な体験は是非実現して遣りたかったしそうなることを望んだ。

 出港して期待は弾んだ。カメラを構えて期待は高まる、その時、船長のアナウンスが無情に響いた、悪天候のためツアーを中止し引き返すと。

後で考えれば、ツアーの中止で普段なら行かなかった野付半島や荒涼とした中標津、偶然入った弟子屈の美味しいラーメン屋、美しい屈斜路湖や他の湖群、特に野付の付け根に残る会津の旗のたなびく墓地は脳裏に残る。

 北海道の旅は知床だけではない!

2022年4月22日 (金)

伊豆へ 自然との調和・思考の優位性とバランス

 昨日の帰郷の車中でふとした外の風景を見てアプリオリにそう思った。

 私は伊豆へは大抵一人旅である。従ってグリーンの座席は一人掛けである。伊豆急は伊豆半島の際を走るので二席側は海、一方の一人席は何時も山側と決まっている。伊豆へ行く時は何時も伊豆半島の山側を見てゆくことになる。

 伊豆の山は大概が崖地である。平地が出現したらその街の中心地である。大概が崖地にへばりつく様に家が建つ。ここに生まれ育ったらどんな気風になるのか分からないが、不便である。すべてが坂道だ。でも新緑が眩しい、光り輝いて実に緑が美しい。緑の美しい日本に生まれてきて良かったと思う瞬間である。

2022年4月21日 (木)

今日帰る

 4,5日の予定で下田入りしたが、思いの外順調で一日にして目的を達した、日頃脳裏に展開していたことが大いに役立っている。日頃の目的意識の違いだと謂ってしまえば簡単だが、いつもの癖だから。

 今日のセフィール2号で帰ることにした。フレームワークが出来れば後は埋めるだけ、勝利は目に見えている。帰ろう、MAYの待つ我が家へ!

2022年4月20日 (水)

閃きはやっぱり下田で

  今回は難題を持ち込んだから長期を想定して4日を取った。予備を入れると一週間の予定で籠ろうと覚悟して下田入りした。

 その覚悟は一瞬にして瓦解した。昨日、朝食後の気分転換の散歩で一瞬のうちに氷解したのだ。瞬時にフレームワークが脳裏に浮かび、引き返してペーパーにそのアウトラインを一気に書き上げ、その日の大半の作業を終えた。

 昼食に向かった行きつけの蕎麦屋は気分もよく、何時ものビールにせいろの大盛を気持ちよく平らげ帰路の足取りも軽く6キロの散歩も心地よい。

 気分転換はいつも下田である!!

2022年4月19日 (火)

実力

 本当の能力は事例をどれだけ挙げられるかに係っている。事例や想定を数多く挙げられることが実力の証明である。後はその挙げられた事例を如何整理するかに係っている。

 その体系化が第二の実力と謂う。試してみては!

2022年4月18日 (月)

訳あって下田へ

 今、下田にいる。今日から4日の予定で下田に来ている、一人になりたいとき、一人にならなければならない時は決まって下田を目指す。宿は定宿だし、街も知り尽くしていて、居心地が良いし、落ち着く。

 考えを纏めたい時、結論に思い悩むときは下田に決まっている。過去もそうだし、多分これからもそうだろう。今回もきっといい結果になる事を期待している。

 それでは!!

2022年4月15日 (金)

我が家の庭に桜が咲いた!

 娘がわが事務所に入所した時に前の勤務先の同輩から餞に貰った桜の苗木をプレゼントされた。新天地で新たな花を咲かせて下さいとのメッセージだという。

 鉢植えの間は事務所の片隅で葉は出るものの花を咲かせることはなかった。昨年、自宅が完成したのを機会に庭に地植えして開花を待ったが、

何の反応も無く枯れ木の様に無反応であった。

 この春の訪れに見事に開花した。世の中の開花に遅れる事一週間程遅い開花だ。小さな枝ぶりに似合わず綺麗で大ぶりの花に皆、拍手喝采。

 随分遅れた開花だが、大ぶりの花は遅咲きの充実ぶりとでもいうのか。私の亡き父に生前よく言われたのを思い出す。君は遅咲きの質、晩成型なのだから焦らず励めと。今はそれを懐かしく思い出す。

2022年4月13日 (水)

原点

 歴代、青少年育成や若手経営者の育成のそもそもの原点を探ってみれば、嘗て、娘が通う小学校のPTA会長職への就任にあるという結論になる。単なる一員ではなく長であることに意味がある。

 どんな組織でも同様だが長でなければ経験出来ないシーンや決断があるからだ。組織運営の長でなければ経験できない場面が数多くある。抑々、青少年に対する価値観の転換は実に八千代市の「少年少女洋上教室」の研修部長職就任が切っ掛けだ。7泊8日の短い航海で逃げ場のない生活を共にした経験が色濃くその後の青少年の可能性に関する見方を変えた。その可能性に賭けている、希望の原点でもある。

2022年4月12日 (火)

生き方

 暫くの間、老後の生き方について悩んだことがある。一番の原因は体力の衰えだ。今まで出来たことが出来ないというジレンマに悩んだのだが、

今は幾らか穏やかに受け入れられるようになった、というより受け入れざるを得ないのが現実である。

 そこで充実した老後を生きる術とはと謂う問いになるが、今はそれほど悩まない。

 一日一日を懸命に生きるという至極簡単な解を得たからだ。けだし、人生の目標は要る。

2022年4月11日 (月)

春は人事異動の季節

 組織に人事異動は付き物。昇進もあれば左遷もある。兎角、毀誉褒貶の世界だ。組織の規模にもよるが、人事異動はゼネラリストを前提とする。組織者や将来の経営幹部候補は全般を把握する必要があるから当然だが、継続性が求められる職種もある。専門性が高く、継続的給付を必要とする部署は継続性が求められるし、その分野への見識の高さとモチベーションの維持が必須である。そこが組織の妙と謂うもの、この作り付けが肝心である。その背景として給与体系の構築は必須である。

 さて、その恐ろしきは人事権を持つ立場である。

2022年4月 7日 (木)

防災拠点やちよ道の駅

 16号線沿いにある道の駅が国の防災拠点として千葉県で唯一選定された。この地は南北に16号線が伸び、東西に新川と謂う印旛沼から用水路が伸びる将に東西南北に主要道路と水路が交わる絶好の拠点が防災拠点として指定されたのだから八千代市にとっては絶好のチャンスとしてとらえている。

 有事はもちろん平時にも観光振興を兼ね備えた謂わば才色兼備のロケーションが手に入ったも同然である。このチャンスを逃す手はない。是非八千代市民の知恵を総動員して臨むべきである。

 抑々八千代に名所旧跡が無い。無理をしてこじつけることもないが、自然と緑と水には恵まれている。この資源を活用しない手はない。これからのグリーンツーリズムには未曽有の可能性を秘めている八千代がある。

2022年4月 5日 (火)

近未来の経営者像

 最近、若手の経営者の紹介が増えている。若手は評価は定まっていない分、伸びしろが大きい。社長塾を始めて15年になるが、静かに成長の軌跡が広がっているのは良いことだ。

 社長塾の中に社長の資質と謂う項目があるが、第一に問題解決能力、決断力に高潔性と謂うのがある。家族経営から脱皮して他人の被用者や利害関係者(ステークホルダーと謂う)が多くなると他人の評価はうまくやる事から、公平性や公正性に関心が移ってゆく。

 真の経営者を目指して成長することの大事さを教えてくれるのは、良い先輩や経営者塾の存在も重要だ。

2022年4月 1日 (金)

障害者

 昨日、クライアントのある方に食事にお誘いを頂き、楽しいひと時が4時間近くに及んだ。実に楽しいひと時であったし、話が私の子供教育にも及んで親子三世代同居の長所も確認出来て良かった。16年間に亙る父の介護生活も人間教育にとっては掛け替えのない貴重な体験を経験出来て、人に自慢できる家庭教育が出来たと今は自信をもって言える。

 ハンディキャップをもつ肉親との同居は傍では理解できないほどの貴重な体験であった。今はその時の困難さは掛け替えのない貴重な体験へと変わっている。

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