父の喜び
先週末、婿殿のご両親が新築の為った新居にお祝いに観えた。土曜の夕方デッキで婿殿が手ずからのバーべーキューでおもてなし。楽しく時間を過ごした。
ご両親も楽しそうで美味しい肉料理を味わったが、頃合いの良いところでお父さんが故郷の祝いの歌だと謂って「祝い唄」を数曲披露した。素朴な曲であったが、その喜びが溢れるようなしみじみとした調べ、実に嬉しそうな感情溢れる曲であった。
父親の息子の成長をこの上なく喜んでいた風であった。
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先週末、婿殿のご両親が新築の為った新居にお祝いに観えた。土曜の夕方デッキで婿殿が手ずからのバーべーキューでおもてなし。楽しく時間を過ごした。
ご両親も楽しそうで美味しい肉料理を味わったが、頃合いの良いところでお父さんが故郷の祝いの歌だと謂って「祝い唄」を数曲披露した。素朴な曲であったが、その喜びが溢れるようなしみじみとした調べ、実に嬉しそうな感情溢れる曲であった。
父親の息子の成長をこの上なく喜んでいた風であった。
社長塾が4回目を迎えている。今回は少数だが、皆熱心で出席率もいい。もうそろそろ終盤だから、ここでおさらいをしておく。戦略を立てるには順番がある。
それは大から小へ、長期的観点から短期的観点へ、その意味で経営理念が最上位に位置し、外部環境分析から内部資源(内部環境)分析に入ると謂うのが鉄則である。細かいことはいい。
広域から細部へと順番を間違えてはいけない。
庭の小道の話は前回したが、この小道に名前を付けようと思い立った。それで思い出したのが星野富弘著の「鈴の鳴る道」である。父が38年前突然の血管系の病で半身不随の人生を終生送ることになった。家の改造、そして階段の多い門までの道も全て改造した。
そして、出会ったのが星野富弘の詩画集である。その中にこの本があった。私の心に残る一冊でもある詩画集だが、ご存じの通り彼は授業中の事故で全身不随になり口に筆を加えて絵を描く。
その詩画集が人々の心を打ち数冊の詩画集を出版している有名な作家である。その本に中にあるエッセイである、鈴をつけた電動車いすが道の凸凹で「チリン」となった話で、これが楽しくて凸凹道を散歩するようになったとある。
この文章の終わりに「私の行く先にある道のでこぼこを、なるべく迂回せずに進もうと思う。」とある。私の終生の指針でもある。
そうだ、この小道を「鈴の鳴る道」としよう。
家を新築し、婿の家が7月上旬に竣工し、今は庭の造成に入っている。
家としては3年ぶりに工事現場の風景が変わりつつある。家の造作が完了し、庭の造成のみとなった今、愈々殺風景な工事現場がやっと変わりつつある。昨日は家の前の通路が形を現した。庭に歩道が付いたのだ。ゆったり回遊するループ型の小道は差乍ら遊歩道を思わせて優雅に揺蕩っている。
態々、ループを描くのはスローな風情を日常的に味わいたい為だし、優雅な暮らしぶりを演出するためでもある。緑に囲まれた豊かな自然を満喫したい為でもある。
8月の完成が待たれるのだ。
毎日、茹だる様な危険な暑さが続いている。生存弱者は生き残るのに必死である。夏休みでこの暑さを回避できる子供は兎も角、この炎天下で高校生球児は全国大会を目指して必死に戦っている。
球児に事故の報告は無いから正常に活動しているのだろう。鍛えればこの酷暑も凌げると謂う事か、もう少し前向きに捉えるとするか、それにしても熱い!!
依然、酷暑が続いている。朝、目覚めるのも億劫なくらいの暑さで早朝から刺すような暑さが分かるようで辛い。何時に為ったら高原の涼しさの中で快適なゴルフ三昧が出来るかが猶一の望みである。
地球は誕生47億年。今は新生代、第4紀、完新世である(1億2千万年前から)地球は1万年周期で氷河期と間氷期を交互に繰り返している。その周期で謂えば氷河期が訪れると謂うのもリスクとしてはあるが、今の陽気では到底来そうもない。
むしろ地球温暖化が正しいとも思える気配である。長期サイクルの警鐘も今の陽気で打ち消す様相だ。零細な判断が出来にくい、アメリカの様相とも似ている。
昨日、真夏のゴルフに家内と行ってきた。これは猛暑としか言いようのないこの上なく蒸し暑い陽気で、カート乗り入れでなければご遠慮したいほどの環境、もうゴルフをやる気にもならないぐらいの陽気、カップルのゴルファーは皆無、それだけ過酷だと謂う事。
生命をかけて遣るに足りないと謂うことだろう。ここはそれ、真夏を遣り過ごしてから考えると謂うのが正解かも。
この猛暑を子を持つ家庭はどうやってやり繰りするのだろうか、職場と考えながらやっていこう。 子を持つ家庭の隠れた問題である。
もうそろそろ関東地方も梅雨明けの季節である。今年の梅雨は梅雨らしいじめじめした長雨より雨は降らないが湿度は高いと謂う陰湿な天気が続いていたように思う。
梅雨が明け、学校も夏休み、子を持つ親たちの格闘が始まる。地域問題としての子供の居場所づくりと不登校問題はこの時期、不登校よりは居場所の問題がクローズアップされる。
共稼ぎ所帯の居場所は職場と一体で考えると謂うのは今時の問題提起に為らないか?
今時、日本の真夏の中のゴルフプレーは生死にかかわると書いたが、そこはそれ、ゴルフ好きとしてはどうしても抜け道を考えてしまうものらしい。
そうだ、GP(ゲーリープレーヤー)コースはコース内カート走行可能だ。真夏の間はGPへ通うことにすればよい。雨でコース内走行が不可能でも天気が悪ければ気温も低い。
どちらに転んでもOKである。上手いこと考えたものだ。これを賢者の知恵と謂う。とは言い過ぎか!
楽しい筈の三連休だったが、蓋を開ければ初日は良しとして、二日目は中学時代の同窓会の打ち合わせとて地元に向かったものの昼食後に急に身体のだるさを感じ悪寒が走る。
スワ愈々遅れてやって来たコロナかと危ぶみ、試験薬の判定によれば陰性、その日と翌日は寝て過ごすことに、散々な目に合ってしなったが、幸いにも38.7度もあった熱もわずか一日で平熱に、平素の体力と秘薬のお陰と感じ入ってしまったり、お騒がせな三連休でしたとさ。
明日から三連休である。それも楽しい連休になりそうな気配がする。明日は引っ越し後の最初のファミリーバーベキュー、日曜日は中学時代の同窓会企画の打ち合わせで懐かしい仲間との再会、最後は妻とゴルフ、何せ酷暑の夏とて多少の雨はシャワー位の感覚、寧ろ雨の方が涼しいと来ている。多少の雨ならウエルカムである。
楽しい夏の行事が詰まっている。秋は相応しい行事が企画済みである。これも又楽しみである。
先週末、我が家の敷地内に娘夫婦の家族が引っ越してきた。これで我が家は一族郎党同じ敷地内に暮らすことになった。この上ない喜びである。これで外構工事が完成すれば足掛け3年に及ぶ一族の有り様が完結することになり、これはこれで将来の家族の在り方の理想形であると自負しているがこんな幸せが我が家に遣ってくるとは誰も想像できなかったろう。
これは決断してくれた娘婿殿にも感謝しなければならない。早速、週末はバーベキューとのこと、孫たちと一緒に暮らす喜びを存分に味わいたい。
2012年に日本商工会議所やその関連団体等が中心になって「中小企業」が使える会計基準が出来た。それ以前は如何だったのかと謂えば、企業会計基準がルールとしてあっが、もともと大企業の適用を中心に据えたもので、中小零細の企業が適用できるには詳細過ぎた。
これに変わって実務的で中小企業でも適用可能な基準の制定が待たれた。世界不況の煽りを受けた中小企業の企業改善や再生に支障を来すとの意見から導入が決まった。
事の経緯からしても企業比較や実態解明に有用な財務情報が求められたのだ。裏返せば今までの財務情報レベルでは企業実態を表していないと謂う表明でもあった。実の多くの企業は納税目的のための財務情報しかなあったし、実態を反映したものでも無かったのだ。抑々、納税目的の財務情報は拠る処の基準は謂わば税務基準でディスクロージャー目的で無かったし、事態を表すものでもなかったのだ。
必要が生じて生まれた機銃である。謂わば自計化のための基準である。会計が経営者の基に帰ったのだ。
6日の日に、下の娘一家の家が竣工し、引っ越してきた。当日も今も引っ越し作業でテンやワンやの大騒ぎ、子供たちも浮足立っているものの、新居への転居が嬉しいらしいが、私たちはもっと嬉しい。
何度も書いたが、年老いた夫婦にとって老後の生活が何より心配 ! 身近に身寄りが住んでいる安心感は何よりのご褒美だ。仕事も家庭も順調で怖いくらいだ。こんな生活が続けば、リタイヤ後も悠々の快適な余生が待っている。巡り会わせの幸せに感謝しなければならない。
今年の夏も酷暑である。晴れた日の外出は命がけと謂ってよい。第一、健康に悪い。稀に体調を崩すと謂うより稀に命に差し支えがある。アンチ異常気象だとか、長期的なサイクルで行けば間氷期ある、温暖化よりは氷河期に向かっているトレンドが実は怖いだのと分かったような口を利く輩もこの酷暑にどう対処していけと謂うのか聞いてみたいものだ。人は長期的展望より今そこにある危機の方が大事に違いない。
フランスでは極右政党の劇的勝利かと思われた民主主義の危機だと思えば一転極左連合の躍進と振れる。こちらは民主主義の後退とまでは行かないが、これまた国政の停滞を伴わなければ良いがと杞憂してしまう処が中々うまく収まらない。
この先、世界はどうなってしまうのか、先達はどう考えているのだろうか?
今朝、またまた、事務所の脇の十字路で衝突事故が発生した。これで何回目かと思われるほど衝突事故が多い箇所なのだ。嘗ても,重点監視箇所として時たま警察官が監視している箇所でもある。事故の発生は決まって通勤時間帯の早朝か夕餉れ時の退社である。「急がば、回れ」の格言通り。
伊達に格言は無い。心して暮らせ。」と謂いたい。全く迷惑な話である。
謂わば呼吸の事だが、運動での呼吸は身体動作より大事かも知れない。動作分析で呼吸の事を蔑ろには出来ない。増して武道での息づかいは生死を分ける程に重要である。ゴルフではどうかと謂うのが今回のテーマであるが、研究の結果、始動の息づかいや切り返しの息づかいには法則があるらしいことが判明した。
目下テスト中である、判明したらまたこのブログに書いて見る。
ゴルフ・プレイヤーの引退平均は75歳だと業界誌のとある記事があったが、今の私の環境からすれば引退は程遠いと思う。プロから齋藤さんプレーはレギュラーティからと申し遣っているがそこはそれ我慢して腹を括ってレギュラーティからプレーしている。まあ男の矜持と謂ったら大袈裟か、
まあそれに近いが、スコアは偶に90を切れるし、戦いになると思っている。もうこれは引退時を模索しつつ、ゴルフを楽しもうと思う。アマチュアゴルファーの本分は楽しくラウンドすることにありである。
この夏はゴルフをしないとブログに書いたが早速、禁を破ってコース内走行のゲーリープレーヤーコースなら真夏でもプレイ可能と勝手に決め来んで、この土曜日家内とラウンドに行ってきた。
予想に反して天候が今一でコース内走行は出来なかったが、曇天で気温も低く歩いても問題なしで久しぶりのホームコースを気分よくラウンドしてきた。スコアも上々で練習も無しの割に上出来なラウンドに帰れば、孫たちと図らずも夕食を一緒に、賑やかな週末。
今週末は愈々、自宅の敷地にお引越しとなり、我が家も一挙に賑わいを増すことに。楽しみな暮らしが待っている。
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