お騒がせな台風
台風10号は太平洋を徘徊の末,鹿児島の川内市に上陸後急速に衰えもう直ぐ熱帯低気圧になると謂う。発生当時は大型で日に日に成長し稀に見る超大型の台風にまで成長した後上陸後に急速に衰え見る影もなく消えてゆく運命である。
鳴り物入りでデビューした大物がデビュー戦で躓き、見る影もなく消えてゆく姿にどこか似ている。期待が大きいだけに失望もまた大きい。世の中こんな手合いが多いが、「それ見たことか」が続きと人は相手にしなくなる。
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台風10号は太平洋を徘徊の末,鹿児島の川内市に上陸後急速に衰えもう直ぐ熱帯低気圧になると謂う。発生当時は大型で日に日に成長し稀に見る超大型の台風にまで成長した後上陸後に急速に衰え見る影もなく消えてゆく運命である。
鳴り物入りでデビューした大物がデビュー戦で躓き、見る影もなく消えてゆく姿にどこか似ている。期待が大きいだけに失望もまた大きい。世の中こんな手合いが多いが、「それ見たことか」が続きと人は相手にしなくなる。
会計事務所のお仕事の内容を知っている方は実は限られた人々であって、日頃から会計事務所を使ってる乃至は知っている方の方が実は少数なんだと知ることは重要で真実に近いと思ってる。業界の中に居るとつい自己中心に考えてしまうことが多い。
それが証拠に最近多い相続相談や相続税申告についての多くはHPを見たとか、サイネージ広告を見たとかの方が大半である。
昔は、紹介や世間の評判、電話帳広告説いた媒体が主であったが、いまは圧倒的にHPを見てと謂うのが大半である。それも業務内容と人の顔を明らかにしている強みが見て取れる。
今も昔も相手の顔が見えて業務内容や方針に一覧性があることが求められている。
台風10号が近づいている。しかも迷走していて超大型と来ている、進路がハッキリしないので遥か彼方の地方は他人事のように予報を聞いているだろうが、いざ我が身と為ったらどう行動するだろうか。
何事もわが身の事ととらえて行動するのが理想だろうが、大半は他人事である。民主主義の根底も台風の進路も同様である。昨日植樹をした植木が強風に耐えられるだろうか。今朝も庭木に水遣りをして置いた。一日も早い自立を促したい。
人の子も同様である。
近時、庭の造成が進んでいる。娘たちの住む家の庭も昨日は芝が張られ、今日は植樹が進んでて、大分庭らしく芝と植木の共演である。これで庭先の門扉が誂えられれば庭先の工事も完了である。
最近の朝夕もめっきり真夏の盛りを過ぎ、凌ぎやすくなってきた。愈々私の好きな寒冷期を迎える、今年の秋は白神山地を目指す。日本の行きたいと思っている地方の大部分を巡った。
後は自分の気持ちの赴くままに気楽に日本を巡っていこう。外国ではチェコのプラハ位だろうか?
今週で夏休みも多くは今週末まで、夏休みの宿題で大いに悩んだ自分のこともあり、孫の夏休みの宿題が気になる処だが、孫たちに聞けばとっくに終わっているんだとか、
私には信じられない程の手回しの良さに信じられない気分だが、当人たちは至って平気で、遊びまわっている。色んな事を学んだこの夏休み、思い出は先の花火大会か、旅行か、いい思い出をもって新学期が始まる。
確実に成長した姿をもって!
今の時期、気候は変わり目,秋の気配が漂う季節、どうも気候も政治も見通し不良、世界中が混沌として、歴史上気候変動が与える影響の大きさは何度も繰り返してきたことではあるが、異常な温暖化が齎す影響は歴史上ない。
温暖化で解りやすいのが作物の北限移動、南の砂漠化。今も気候変動が齎す食物連鎖が歴史を変えだろうか。南北の隆盛が変化を与える程のものであろうか。
未知の体験への挑戦でもある。
今日も暑い一日が始まっている。今週末は八千代市の花火大会で今年は50周年記念イベントでもあるが天候の悪化が気になる処だ。猛暑が続くこの頃だが、暑すぎて犬の散歩も自身の散策も出来ていないが、体調は万全でゴルフも絶好調である。
流石にクライアントのゴルフ場もこの猛暑で減益と謂う。然も有り難、コロナから続いていた好調も途切れがちと謂う。然う言えばこの間、行った真名のGPには老夫婦のカップルが姿を消していた。この猛暑を毛嫌いしたのかも知れない。
世界のあちこちで気候変動の影響が出ているのであろうか?
旧盆も過ぎた。8月も中旬である。何時もはお彼岸も過ぎ、台風の一つや二つがやってくればもう秋風が吹こうと謂うもの、今年の夏はいや、秋はいつ遣ってくるのだろうか?と訝しくも為る。
自民党も総裁選に現職が出ないことで、雲霞の如く候補者が群がっている。こちらは俄然暑い夏を演じている。これからの日本はどうなるのか。 若手が勝利すれば一挙に政治は若返るかもしれない。
若手の台頭は保守政治の革新になるかもしれない。ここは新手の改革派に身を任せてみるのも一考かも知れない。
私が、一つの後援会長をしている小林代議士が若手・中堅の代議士に押されて次の総裁選に出馬する可能性が出てきた。マスコミの情報によると出馬に必要な推薦人20人を確保したとしている。
彼は公募に応じて代議士を目指した時から日本の再生を目指して活動してきたし、実績も挙げてきた。国際派にして庶民派、手配りの駅頭を今でも遣っているし、辻立ちもしている。決して上から目線ではなく、大衆の目線なのは彼の経歴からしても珍しいが、寧ろ、そんな行動様式にその人柄が見えてくる。
総理になるのは時の運だが、もし就任するとしたら、その政策や組織をどうするのか大変楽しみである。期待の持てる機会がこんなに早く来るとは思わなかった。政治は一寸先は闇である。
将に政局である。政治の変わり目であることは、論を待たない。日本の保守の在り方が問われている。国民は何を望んでいるのか、日本をどのような国にしたいのかを問われているように思えるがどうか。
国民は幸せで豊かな暮らしを望んではいるが、日本の立ち位置まで考えている国民がどれだけいるだろうか。つまり、一人当たりGDPの向上は望むがGDPをつまり日本のプレゼンスを世界一流に引き上げる方策にどれだけ賛同するかは未知数である。
誰でも二流国に暮らすより世界一流国に暮らすほうがいいに決まっている。さてどの様に引き上げると謂うのか。規模より存在の希少性に賭けた方がいいように思うが?
昨日、妻の実家で一年前に亡くなった義理の母の新盆で富津の実家に行ってきた。残された義理の父は健在だが、93歳の高齢でデイサービスの厄介になっているそうだ。昭和一桁の昔堅気の頑固者で人の謂う事を聞かない性分は今でも健在。家族を困らせているそうだが、息子夫婦と同居で愚痴を言いつつ面倒を見ている処は今時珍しい。
妻の兄弟は弟が一人、妻の誕生日祝いのメッセージは欠かさない、律儀で優しい弟だ。性分も控えめでおっとりしていて傍から見れば今日一つ物足りなくも思えるが実直で誠実である。おまけに、人も羨む仲の良さである。
幾つまで生きるか70歳を超えた今、人生は分からないが、多分、穏やかな人生が待っているのだろう。当方は近くに孫たちの気配がして実に快適である。
一昨日、17回目の社長塾を終えた。今回は社長取り分けCEOの心構えと資質についてがテーマだがロジックや技術だけでなく、取り分けCEO特有の資質に触れた。
デジタル社会でのCEOの役割がスーパージェネラリストに有るなら、パラダイム、理念、戦略、戦術であるが、一方、政治の世界はパワーゲイムである、交渉事や紛争解決能力をいうとしたら、外交力・軍事的背景を持つ紛争解決力をいう。
つまり、経済的豊かさは一人当たりGDPの向上で良いが、外交力の背景はGDPの大きさである。日本を世界の調整役に引き出すには存在の希少性を発揮するか、大きさを備えなければ世界の中で存在価値を失ってしまうと謂うことだ。
外構工事も終盤で門に近い平坦部分とこれに続く坂道と謂う処となった。最後の難工事だが、この部分がこれからの老齢化に向かう我々にとっての使い勝手の良さに通じる。この斜度が老人の日常を制すると謂ってよい。
出来るだけ穏やかな傾斜になる事を祈っている。完成したら小道の脇に粋な装飾もしてみようかというアイディアも浮かぶ。
人手不足が謂われて久しい。ご多分に漏れず会計業界も同様であるが、地方のしかも東京近郊はそうでもないのだ。つまり、近郊は結婚退社した、かなりなキャリアを持った女性が子育てを終えた頃から社会復帰を考えるようになる。かといってキャリアを積んだ女性を満足させる職場が近くに無いのが普通だ。
そこで会計事務所の出番である。それも高学歴の女性が満足するような業務内容でなければ魅力がない。記帳代行なんてまさしくダサい。会計の主な業務内容がコンサルティング的な知的作業でなければ就労のチャンスは無い。
そんな意味で会計業務の内容がコンサル的内容でなければならない。こんな会計事務所が即ち高付加価値の経営である。
BSの8時からワールドニュースと謂う番組を遣っている。毎日のようにどこかで紛争のニュースが流れる。世界は物騒である、騒然としている、これが続けば世界が消滅してしまいそうなぐらい騒然としていて喧しい。
よくこれでオリンピックが平然と行われているのか寧ろ不思議でならないくらい世界では物騒なことが起こっている。それにして日本の悠然とした平和な世界は世界の別ものであるように映るがどうだろうか。
いま世界は対立と分断に揺れている。所謂、南北問題である。近世の頃からのヨーロッパを中心とした植民地政策と意外進出のしっぺ返しと謂ってしまえば簡単だが、偏見と対立は無学と貧困にこそ起源があると思っている。そんな意味で今ユネスコの提唱は正しいのだ。
今朝からコンクリートミキサー車と圧送者がコンクリート打ちを遣っている。例の屋敷内の小道の造作である。これを「鈴の鳴る小道」と命名しよう。
星野富弘氏の詩画集に因んで車いすの走行で鈴が鳴る小道と謂うことで命名したい。先の事だから分からないが、もし父の様に車いす生活になっても楽しみを取って置きたいからだ。
車いすで無くても毎朝の新聞を取りに行くその楽しさも早朝の朝靄を感じていたいと思う。少しでも豊かな老後を過ごしたいと願っている。
人は道にどれだけ憧れを持ったのだろうか!地球の第一歩は未開の地だった筈だ。動物が通り、人が通り、荷馬車や車が通った道を人が歩む。こんな見慣れた光景が庭にできると何と晴れやかで気持ちの良いものだろうかと思う。
人は生き物、歩む道に道筋が出来る喜びを庭の造成をして初めて味わった新鮮な驚きである。完成が楽しみである。是非、星野さんの様に鈴を鳴らしてみたいと思う。
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