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2024年9月

2024年9月30日 (月)

探究と交わり

 NHKの街角ピアノと謂う番組があり興味深く見ている。理由は街角の一隅に置いてある誰が弾いても良いピアノに集まる人のコメントや弾きての境遇や音楽に対する考えを聞くのが楽しいし、交わりを見聞きするのも興味深い。

 偶然の出会いや人夫々の境遇や事情も千差万別で興味が尽きない。人の興味や趣味は偶発的な事情にもよるが人との出会いや交流も切っ掛けになる事が多い。

 そんな意味で日本人の日々の単調で変化のない生活から変革やイノベーションは生まれないと確信を持って言える。若者は変化と出会いから成長が始まるのだ。

2024年9月26日 (木)

高付加価値経営

 賃上げも高給も苦にならない経営がある。所得分配額を高める経営である。謂うは安し、行うは難しであるが、儲けが多くれば分配も多いと謂うのが企業の論理である。

 経済三面等価の原則と謂うのがある。生産・分配・支出の三面である。生産の局面の答えは生産性の向上言い換えれば付加価値の向上である。

自分で出来なければ他からの刺激に待つしかない。高付加価値企業の誘致である。刺激を受けた過激な競争を勝ち抜いた先に高付加価値が待っている。ぬるま湯に浸かったままでは幸せは遣って来ないのだ。

2024年9月25日 (水)

賃上げ効果

 対前年比何パーセントなんてケチな事言ってる場合か。先端企業を誘致して周辺企業群を誘致すれば抑々競争力のある企業であれば当然賃金も高い筈だし、地域全体に恩恵はある筈である。

 未だかつてこんな議論さえなかったと謂うのは、前にも書いたが、エスタブリッシュメントは現状を変えたくないからだ。彼らにとって現状は命である。

 イノベーションは変革である。現状に甘えれば明日は無い。そのことを忘れて久しいのが今の日本である。危機こそチャンスである。エスタブリッシュメントの危機を感じさせるには何が一番良いだろうか。変革を真剣に考える時が迫っているようだ。

2024年9月24日 (火)

奉仕 

 奉仕を英語で謂えばserve,仕える、支えると謂うような意味にとれるが対価は取らない無償のと謂う意味が含まれている。その無償と謂う意味が実費相当まで含むのか含まないのかは議論がある。

 日本の古来の意味は全くの無償を謂い全く対価は無いと謂うのが常識である。つまり、施しである。施しは救済である。救済は無償でなければならないが、ちょっとでも対価を求めようものなら商売に直ぐ結びついてしまうのが日本である。利潤を含むまで求めない施しもあるだろう。

 これからは!!

2024年9月20日 (金)

創造性の教育

 世の中、探究型教育だの非認知機能の向上だのと言われて久しいが、昨日、衝撃の事実が判明して大変ショックであった。孫娘が家に遊びに来ていて絵本を見ながら楽しそうに読んでいるのを見ていて微笑ましく思っていたら、「ジジ、ジジがこの絵本を見て、物語を作ってみてよ」と差し出すのを見て実に驚いた。

 その絵本には文字の欠けらもなく子供達3人と恐竜が一匹(?)いるだけ。絵だけが進行している。これを見て咄嗟に「物語を創れ」と謂い立って如何にもこうにも出てこない。

 件の孫娘に見下され、悪口雑言を吐かれてもどうにもこうにも手も足も出ない。そこで傍と思ったのは「これが創造性を生み出す教育かも知れない」。

 皆さん、無言の動画を見せられて、物語を即興で作れますか?

2024年9月19日 (木)

地球温暖化

 地球温暖化が謂われて久しいい。何時誰が言ったかと謂えば、1988年NASAの研究者ジェームス・ハンセンの議会証言からと謂うことになっている。

 これ以降、マスコミの取り上げ方が格段に増えたとある。つまり、一科学者の証言をマスコミが恰も確立された理論の様に一般に流布したと謂ってもいい。

 これに反論する科学者もいるが、世の世論となった風潮に誰も逆らえない儘に今日に至っていると謂う。ふたを開けてみれば「なーんだ」と謂う事にも為る。

 これには科学的裏付けを是非ともお願いと共に、何でも疑ってみる好奇心も必要であるが、日頃は肌身に感じる異常を説明することも、環境にもっと謙虚な姿勢で臨むことも非常に大事なことである。

2024年9月18日 (水)

改革

 人は変化を嫌う。現状を変えたくないのだ。変化は恐怖を伴う、冒険である、どう変わるかよくなれば良いが、そうとは限らない。つまり、変化にはエナルギーが必要である。

 だから凡人は変化を求めない、大衆が変化を求めるとしたら、明日の命が無事でない時か、滅亡が明らかである時である。つまり、そこの迫った危機を感じた時である。危機を感じる仕込みを自ら求めることが重要であると謂う事だ。

 日頃からセンサーを磨いておくことだろう。

2024年9月17日 (火)

 鈴の鳴る道もスロープも出来上がった。後は門と前庭と門柱である。当初の予定よりは若干の修正は有るものの、大半は予定通りで推移していると思っている。

 後は物置と細々とした備品の類で一通りの装備は整ったことになる。新築に二家族の寄り添いは思いの外快適である。

 昨日は敬老の日。孫たちからの感謝のメッセージは永久保存版である。

2024年9月 5日 (木)

中小企業の行方

 日本に中小企業と謂われる会社は270万社ほどあると謂われる。企業の99.7%は実に中小企業である。大半の企業が実は中小企業なのである。

 地方の繁栄と国際社会でのプレゼンスとは相反することも多いが、大抵は同調するようだ。よく言う豊かさは一人当たりのGDPで表されるが一国の大きさはGDPの大きさである。

 国力と豊かさは経済と政治の問題でもある。両者を目指すのが順当であろうが、どちらを優先するかと謂えば豊かさの追及である。その先に国力が存すると思うがどうか。

 よく言われるように、広く豊かな中間層の創出こそ急務でろう。つまり、高付加価値の創出にあると謂える。

2024年9月 4日 (水)

葬儀

 昨日、顧問先のお寺の税務調査に同席してきた。調査は半日で終わったが、四方山話の中で例のコロナ禍の後先の変化が話題になり、大変興味深く感じた。

 例外なく葬儀の簡素化は進み、伝統的な仏教の行事は簡略化の方向である。新盆や通夜の省略や法会の飛ばしに墓じまいと先人たちがやって来た習わしは消滅の危機にある。

 加えて、過疎化や高齢化が進み、伝統行事は存否が危うい。宗教的意味合いは兎も角、伝統的な故人への配慮も希薄になっているとしたら寂しい限りである。

2024年9月 2日 (月)

人騒がせな台風

 先週も書いたが、台風10号の何と人騒がせな軌道と所業であろうか、有りとあらゆる所業を残して昨日温帯低気圧になったと謂うが、まだ、本州に係る影響は残っている。

 何と後味の悪い低気圧であったことか、爪痕を残して後味悪い印象で去るとは、甚だ日本的でない後味のさっぱりしない所業であることか。

 それにしてもそんな所業の悪い台風の翻弄される日本の何と意気地の無いことか、日本列島の開発が限界点を超えているのか、列島中コンクリートに覆われて水の吐け場を失ってしまったのだろうか。

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