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2025年1月

2025年1月31日 (金)

週末

 月の替わる週末である。明日から2月、MAYは高齢、私も高齢、序に家内も70歳の高齢。私などこの間、診療に行って領収書を見れば後期高齢者の注釈付き、これには聊か困惑と驚嘆の体で戸惑いがあったが、冷静に見れば何のことはない、私だけの勝手な戸惑いなのだ。

 こうして、内面と世間体が乖離して往くのが世の中だろう。もう少し、生き方を総点検の上、スライフスタイルの変更が必要に成ってくると最近思っている。

 仕方のない事情である。

2025年1月30日 (木)

気分転換

 散歩は健康の源、代謝が落ちる高齢者にとっては一番の健康法である。第一散歩の速度は目に留まる景色が悠然と流れ、見渡す余裕もある。新たな発見も望めるのも散歩の優位性である。

 それと旅は気分を転換する優位性を持っている。異空間、異時間、移動の妙味も尽きない。唯、行先は年代や目的によって違ってくる。身体を使った遊び主体の旅行とは行先や目的地が違ってくるのは仕方のないことだが、MAYが高齢になると預けることも憚られる。

 身近なところでお茶を濁すことになるのではないか。当分の間は!

2025年1月28日 (火)

健康維持

 昨日は寿命の話であったが、寿命の前提は心身の健康である。体が健康でも精神的な健康も無視はできない。特に老体にとっての体の健康は多くを精神的な要素が占めていると思っている。

 この精神的要素は甚だ難しい、生活環境や家庭内の環境に多くを依存する。そういう意味で日頃の努力は大変なものに為る。日頃の努力がモノをいうと謂う事だ。

 心して努力を欠かさないことだ。心掛けが大事たと謂う事とである。

2025年1月27日 (月)

助言

 どこも悪い処がないから私は屹度長生きするかも知れないと謂ったら、妻から、ある人から謂われた話や私が心配している処と謂うのが結構あって、私の主観的な判断とは違った観点や視点から見たリスクと謂うのがあって、これはこれで見直すいい切っ掛けになったと思う。

 リスク分析は多面的評価が必須だと知った。

2025年1月24日 (金)

私にも明日は来る

 スキーの挫折は兎も角、私の年齢からすれば結構快適な生活をしていると思う。昨日も所用があって初めての新年会に出席してきたが、公共交通機関の乗り換えもバスの乗り継ぎも足取りは結構軽い。

 むしろエスカレーターも使わず階段を快適に上り下りとスムースである。これも毎日の朝のトレーニングが効いていると思う。特に足腰の強化とバランス感覚のトレーニングは効果絶大だと思っている。

 歳に合った適切な努力は何時の時代にも必要である。

2025年1月23日 (木)

節目

 人生にも「節目」と謂うのは存在するようだ。一生を振り返ってみれば、そのことが鮮明になる。私の場合は実に2019年がその年に当たる。年初に母が逝き、9月に台風が房総半島を襲い我が家も被災した。相続した建物は古く50年近く経っていたし、私も終の住処と定めていたから、建て替えを考えた。私の将来も事業の後継ぎもほぼ決まっていたし、何より心強かったのは末の娘一家が同敷地に家を建て同居してくれることの申し出があったことが、何よりの決め手となったのだ。

 私が70歳の年である。それから横紋筋融解症と謂う思いがけない薬害にも遭遇したし、コロナ禍も経験した。婿の駐在先にも行ったし、婿夫婦も昨年引っ越してきて、今は二人の孫とも付かず離れずのいい関係が続いていて、毎日が楽しい。

 人ぞれぞれの楽しみ方があってそれはそれで楽しいのだ。流動性能力や結晶性能力の何たるかを議論したり、HEEDBACKならぬFEED FORDの議論も人生を豊かにする。歳を取ってもそれぞれの立場で議論を戦わせる楽しみも増えると謂うものだ。

2025年1月21日 (火)

老人の将来

 年頭のスキーでの挫折が未だ尾を引てか毎日気が晴れない。オマケに買った黒井千治のエッセイ本の記事が駄目押しをする。出来なくなることばかりが増え、将来の選択は確実に狭められる毎日どう挑めばよいのか道は開けない。

 今は唯々、老人の新境地なるものを発見しなければならい。煩悶の日々が続く。平均余命15・2歳をどう生きるか、模索は続く!

2025年1月17日 (金)

メイ御年12歳

 メイが家に遣ってきて12年になる生まれて3か月のゴールデンリトーリーバーである。もうそれこそモフモフの可愛い縫いぐるみのような女の子であった。

 それから12年の誕生日を迎え元気だがめっきり老け込んで毎度の散歩の足取りは私より遅い。老人が歩みを調整するほどにゆっくりである。その歩みを感じながらゆっくり歩く足取りにすっかり老犬になった愛犬を愛おしむ。

 やがて、遠くない日に別れを迎えるだろうが、その時の反応は未だ未知である。然う言えば、もう何人かは先に此方へ逝ってしまった。

2025年1月15日 (水)

問題は現場から

 事態の多くは現場にありである。底流に流れる雰囲気がある時、沸点に達し、爆発することが多い。イスラエル、ウクライナ、カナダ、メキシコ、アメリカ、世界は紛争の中にある。底流に流れる現実に目を向けていなければならない。

 世界情勢を見誤らないためにも。現状から目を背けてはならない。

2025年1月14日 (火)

又も、黒井千治

 今日例のマッサージに行った序に何時もの本屋に経ち寄り、厚切りのトンカツを食するのを通例としている。何時ものように昼過ぎ、本屋に経ち寄り手にしたのが表題の本「老いの深み」である。読売新聞に連載したエッセイを再編集したものだが、依然にも手にしている、私が老いを感じた当初だったかもしれないが、題名は「老いのゆくえ」である。

 その本をよんだ感想は老いの恐怖に触れるような年代であった。今また手にしているのは十分に老いを感じている自分がいる。つまり老いを受け入れていると謂う事だ。

 ある種居直った心境に微笑みを覚える自分がいる。十分に老いを受け入れている自分がいる。

2025年1月10日 (金)

後期高齢者

 後期高齢者とはよく言ったものだ。将に人生の転機、アラユルことが表面化し、顕在化する。一々決めて歩まねばならない。つまり、人生の転機とでもいう事か。

 年初に早々挫折を味舞ったことが、響いているのかも知れないが、人生チャレンジと諦めの双方の入れ替えである。経験と勘で一々見極めて行かなければならない。OODAループが生きるかもしれない。

2025年1月 9日 (木)

今年は集大成

 昨日、これからの方針を宣言して気が楽に為ったこともあり、これからの人生指針が自ずと知れるところとなったのは、思わぬ副産物ではあった。

 残された余命を生きる術を知ったことも有難いことである。残された時間を逆算した生き方もバックキャスト的な戦略的な生き方で私好みである。

 残された平均余命から割り出し、目標を設定し、実現のための手順と手法を考えるのも老後の楽しみの一つになった。人には出来る事と出来ないことの峻別と実践が何よりも大切である。

 

 

2025年1月 8日 (水)

今年のプライベート行事は厳かに!

 今年は後期高齢者に為ったこともあり、一年間の過去の年中行事を見直す機会にもしたいと思う。簡素化、余裕のある日程、満足度本位を旨としたものに切り替えをして行きたい。

 枯れて侘び錆びの中、余裕とゆとりに時間を有効に使った合目的な時間の使い方を模索していく時期でもあるようだ。枯れても瑞々しくユトリのある人生を歩んで行きたいものである。

2025年1月 6日 (月)

明けましておめでとうございます。

 明けましておめでとうございます。本年もこのブログを宜しくお願します。今日初ブログです。例によって下田へ向かう列車でスタッフに贈られた「代表のひとこと17年目」を一気に読みつつ、一番のお気に入りだったのが「全力で老いる」であった。表現や言い回しが私的で気に入った。

 年末は下田で4日間過ごし、2日から孫たちと東北盛岡の奥座敷の八幡平へスキーアンド温泉の旅へと勇んで出発。しかし、スキー復活と期待は膨らんだが、結果は惨憺たるもの、華やかな復活劇とはならなかった。唯、断念して婿から借りて読んだ戦略本に在った「OODAループ」理論は新鮮だった。年末に読んだ「経営戦略を問いなおす」は目から鱗である。今日婿用に新しい同書を買った。活かして欲しい。

 今年も後期高齢者となったが、「新境地を目指して」さあスタートだ。

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